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すべては、メタファー。

別の物事にたとえて説明をする「比喩」の表現には、
二種類あって。そのふたつとは、
「直喩(明喩):シミリ」と、
「隠喩(暗喩):メタファー」と呼ばれ、
前者の「直喩」とは、
「のような」「みたいな」「ごとく」「まるで」
などの語句によってたとえる表現、
後者の「暗喩」とは、
それらの語句を使わずにたとえる表現、
という、このような比喩が使われながら、
あらゆる文章は記されているのでしょう。

このときにね、
むつかしくって、そして、興味ぶかいのは、
「暗喩」だと思うのよね。

「直喩」では、
「のような」というような語句をつけて、
たとえるのだから、その
たとえられた文章が、
比喩である、というのは、
読む側にとってもわかりやすい。
でも、「暗喩」では、
「のような」は入っていないのだから、
読む人も、それが、比喩なのかどうか、
わからなかったり、もしくは、
気づかなかったりする場合もあるやもしれない。

文章の表現を、
かなり強引に分けるとすれば、
「のような」を使った「直喩の表現」、
「のような」を使わない「暗喩の表現」、そして、
比喩を使わない「直接的な表現」、
というみっつがあると思うのですが。
みっつめの「直接的な表現」というのは、たとえば、
「のような」という語句は使われていないのだから、
ある意味では、「直接的な表現」と、
「のような」を使わない「暗喩の表現」は、
似ている、とも言える。

「直喩の表現」とは、おそらく、
筆者の人がここでは比喩を使おうと考えられて、
その文章を書かれている、として、はたまた、
「暗喩の表現」というのも、おそらく、
ここでは、直喩ではなく、つまり、
「のような」の語句を使わず、
暗喩による比喩にしよう、と考えられて、
その文章が書かれているのでしょうか。

でも、そのときにはさ、たとえば、
「のような」が使われない「暗喩の表現」と、
比喩が使われない「直接的な表現」とでは、
文章の形態が似ているとすれば、
そのふたつを、ぼくらは、
どのようにして見分けたらよいんだろう。

逆に言えば、
「直接的な表現」の文章を、
これはなにかの「暗喩」なのではないか?
というように、読み手側が、勝手に
誤読してしまうこともありうるやもしれない。
でも、もしかしたら、その誤読とは、
誤読であるとは一概には言えなくって。
たとえば、ある文章では、
筆者の意図を飛び越えたような、
「暗喩」による解釈だっても、
できうる場合もあるやもしれない。

みたいなふうに考えてみるとね、
「直接的な表現」という文章は存在しなくって、
すべてのことばは、
「直喩」と「暗喩」に分けられる、
とも言えるのかもしれないなー。

たとえば、文章の中で、
「のような」という語句が入っていないならば、
それらは、すべて、
「メタファー」である、と思えたら、
ある場合によっては、
世界が広がる、とも言えるやもしれない。

逆に考えれば、
どんな文章でも、
書いた本人が意図しない意味が、
文章の中に込められていて、
その意図しない意味が、
文章からにじみ出してしまっている、
ということも、ありうるんだろう。

文章を書くときにはさ、
そういうことも考えながら、
ぼくは、文章を書けたら。。。

令和4年8月25日


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