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じぶんひとりではできないから。

前回noteでは、トランプなどのね、
対戦ゲームにおける「パス」について、
考えてみたことを書いたのですが。
今のこの時期で「パス」と言えば、
FIFAワールドカップの開催中なんだから、
つまり、サッカーだ!

とは言えども、ぼくは
サッカーの知識について全然詳しくないので、
まったくなんにも語れないんだけれども。
にわかのごとく、素人のごとく、
ワールドカップでの試合中のボールを、
目で追うようにして観戦しているの。

そういうふうに観戦をしながら、たとえば、
ゴールが決まったときには、
すごい! って思うし。はたまた、
パスによって、ボールが
選手同士で回されるのを観ると、
うつくしい!!! って感じたりもする。

パスのことで言えば、ぼくは、
テレビで観戦しているから、
フィールドの真上から
俯瞰的な視点で試合を観ているんだから、
こっち側に選手がいる、というのも
見えると言えば見えるけれども、かたや、
選手の方々は、おのおの
ご自身の目で見られたり、
ご自身の体で感じられたりしているからこそ、
フィールドのどの場所に選手がいるか、というのは、
どのようにして把握されながら、
パスを出すんだろう? って、
毎回、不思議に感じる。

サッカーでもそうだし、もしくは、
バスケットボールや、他のスポーツでも
そうだと思うのですが、素人ながら、
「パス」って大事そうだなあと感じる。

たとえば、
サッカー漫画の『キャプテン翼』ならば、
岬くんからのパスを受け、
翼くんがシュートを放つ、また、
バスケット漫画の『SLAM DUNK』でも、
パスがとっても重要な行為として描かれている。
もしくはさ、野球ならば、それは
厳密にはパスと呼ばれないとはぞんじますが、
「6-4-3」のダブルプレーは、
鮮やかだなあと感じるし、はたまた
「キャッチボール」というのも
パスのごとく、とも感じられる。

パスとは、ボールを
仲間に「渡す」ことであり、つまりは、
仲間と「協力する」ことだったり、
仲間を「信頼する」ことなのやもしれないなあ。

って考えるともすれば、
スポーツにおける「パス」と、
前回noteで記しました
トランプの対戦ゲームにおける
「パス」とでは種類はちがうようにも思うけれども。
トランプの「パス」とは、
じぶんの「番」を相手に「渡す」こと、
なのだと考えれば、それはやはり
「パス」なのでしょう。

あらゆることは、
じぶんひとりではできないんだから、
あらゆることにおける
「ゴール」を決めるためには、
「パス」が大切なんだろうなあ〜。
って、考えたんだった。

令和4年11月29日


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