ノートへ記すように。

6月から吉本隆明さんの講演を聞く聞くシリーズを始めて。んでも、こんなに長いことつづくようになってしまうなんて思ってもみなかった。

当初は、だいたい一ヶ月ぐらいで考えていて。それが、さいしょの『喩としての聖書−マルコ伝』は二ヶ月かかって。そのとちゅうで『芸術言語論−沈黙から芸術まで−』も後で聞こうと決めて、そしたらさらに四ヶ月くらいかかって。

こんなになるなんてぇのは、おもいもよらんかった。

なんか、このままじぶんの考えみたいなのをブログへ書いてゆくと、じぶんがダメになるんじゃないかな? って感じたんだよね、あのとき。でもなんとなく、ブログを、noteを辞めるというのも、その辞める方法というか辞めるためのアイディアみたいなこともまったく考えられなかったし。ならば、どーするか?! てゆうときに、以前じぶんがやっていたブログで「内田樹さんのブログ記事をゆっくりじっくり読む。」というシリーズをやったことがございまして。また、それのようなことをやってみようとおもいついたの。

問題は、それをやったところで、読むひとにとってはなんにもおもしろくないだろう。ってことで。でも、まあ、はじめからぼくのブログは別におもしろいもんではないから、それはしょうがないだろう。と。

「じぶんのノートへ記すようにnoteをやる。」ってのがさ、じぶんの中でのこのnoteのコンセプトなので。んじゃあ、ま、やるか。と。

その「じぶんのノートへ記すようにnoteをやる。」のことでね、こんかいちょっと思い出してしまったんだけれど。そういえば、学生時代、ほぼ誰からも「きみのノートを見せてくれ。」って言われたことがなかった。たまにあったかもしれないけれど、ほぼなかった。それはやっぱり、字も下手だし、あとはまとめかたみたいなのもよくなくて。(そもそもぼくの成績がよくなかった、ってこともあるだろうし。) そーいうのがさ、このnoteにも現れてるんじゃないかなー??? とかおもったり。

今回おこないました「吉本隆明さんの講演を聞く。」みたいなのも、まとめかたや編集やデザインを、もっと上手なひとがやればもっとおもしろく読めるものだってできるんじゃないかなぁ、とか考えたり。

それが、ぼくには、できない。だからもう「吉本さんの講演を聞く。」という行為だけはじぶんなりに愚直にやろう。って思いながらこの半年間やっておりました。

だから、どーなんだ?! と問われてもわからないんだけれど。。。

平成28年12月11日


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