見出し画像

暴力は「許されない」かどうか。

暴力を伴う事件が起きると、テレビのニュース等では
「暴力は、許されない。」と、
キャスターやコメンテーターの方々が言われていて、
それは、ぼくも、そう思うけれども。
でも、なんだか、この
「暴力は、許されない。」ということばって、
どういうことなんだろう? って考えてしまうの。

たとえば、
「暴力は、許されない。」ということは、
受け身の言い方であって、つまりはさ、
その暴力を「許さない」のは、
社会であったり、世間であったり、するのだから。
つまり、そのことばの主語は
「社会」及び「世間」になると思うから、
仮にね、「私」を主語にするとすれば
「私は、暴力は社会が許さないと思う。」
というふうになるとも思うけれども。
ならば、どうして、このようなときに
「暴力は、許されない。」ではなくって、
「暴力は、許さない。」、つまり、
「私は、暴力を許さない。」
とのようには言われないんだろうか。

でも、考えてみれば、
「暴力を許さない。」って、
とてもつよいことばだなあ、
とも感じられるし、なかなか
そうも言えない、というか。その逆にね、
「暴力は、許されない。」のほうは、
ことばのニュアンスも弱くなる気がするし、
つまり、言いやすい、というか。そして、
この主語は、いわば、
「社会」や「世間」なのだとすれば、その
「社会」や「世間」のせいにもできる、というか。

そう考えながら、でも、ぼくは、
「暴力を許さない。」って、
きちんと言えるかどうか、
ってゆうのは、わからないんだ。
言うなれば、このぼくだっても、
度合いはどうであれ、これまで
暴力を行なったことが無いわけでは無いんだから。
それは申し訳ないのですが、そんなじぶんは
「暴力を許さない。」とは、
言い切ることができないんだ。

「暴力」と一言で言っても、
身体的な暴力のほかにも、
言語的な暴力、精神的な暴力、そして、
無視をすることも暴力だとも思えるし、
蔑ろにすることも暴力だとも思えるし、
でも、それらは、
身体的な暴力のようには
線引きをしづらくって、つまり、
「グレー」の場合も多いのかもしれない。

そういうような、
あらゆる暴力の問題に関して、
「暴力は、許されない。」
ということばによって、
どれだけの人が救われるか、というのは
ぼくは、わからない。とは言ってみても、
ならば、ぼくには、それらの問題を
どうすれば解決できるのか?!
ってゆうことも、ぼくには、わからないんだな。

令和5年4月27日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?