表紙14

其の七 りんご

《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちはー!!

前回noteでは、吉本さんが「世界を知る方法」として選んだのは、アダム・スミスからマルクスまで、という今で言う「古典経済学」なのだそうで。ぼくはさ、もう無知でまったく知らないことなんだけども。

つづきを聞いてゆくです。。。

あの、えーと。いちばん最初にアダム・スミスだったんですけど。アダム・スミスってのは、この人は、偉い人だな。っていうふうにすぐに思いました。(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_1:07〜)

アダム・スミスとは、このひとは偉いひとだな。と吉本さん思われて。。

それは、なぜかと言いますと。アダム・スミスの『国富論』って言うのが、まぁ主著ですけど。

この『国富論』ていうのはさ、たぶん、歴史か何かの教科書であった気がする。なまえだけ、聞いたことある…。

『国富論』の、あの、ノートっていうのが、たしか水田洋さんの翻訳で出てたんですよ。それで、それを見ると。実に簡単にして、実に見事な、見事な、その。なんて言いますか、古典経済学の考えかたっていうのを見事に言い当てていたんです。

その『国富論』のノートと言うのには、じつに簡単に、じつに見事に「古典経済学」の考えかたを言い当てていて、

やさしい言葉です。みなさんの、ぜんぜん経済学なんていうのは知らない人でも。専門家の人でも。どちらにも通用する、すごい、すばらしい、やさしい言葉でそう言ってありました。

そこには、とってもやさしいことばで書かれている。

そーなんだぁー。

それはもう。あの。僕は、もう鮮やかに。まぁたとえばニュートンがりんごの落っこちてくるのを見て、じぶんの、こうおかしい… 物が落ちるのはおかしい、どういうことなのかな? って言うのを考えたことにヒントを得た。というのとおんなじぐらい、

たとえばニュートンがりんごの落ちるのを見て「物が落ちるのはおかしい、これはどーいうことっ?!」て考えて着想を得たのとおなじくらいに、

あの。それは見事な洞察をスミスっていうのはやっています。

みごとな洞察を、スミスはやっている。

‥‥と。そんじゃー、このつづきは次回noteで聞きますです。ほんとにもう暑いけど、どうか、げんきですごしていてね。

平成28年8月21日



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