見出し画像

ことばの無い世界。(堂々めぐりver.)

ことばとは何なのか?
というのを考えてみても、その問いもまた
ことばで考えるんだから、ことばによって
ことばとは何なのか? を考えたところで、
結局、堂々めぐり、というか。
つまり、ことばを
ことばで考えても、そこで出てくる
考えもまたことばなのだから、じゃあ、
そのことばとは何なのか?
ってゆうふうにもなってしまって、問いが
いつまで経っても終わらないんだから。

それでも、ぼくは、ぼくなりに、
ことばとは何なのか?
を考えられたい。

人類が、
ことばを発明して、そして
ことばを使用するようになってから、
どのぐらいの月日が経つかは知らないけれども。
人類は、
ことばを発明したことで、どれだけ
しあわせになれたのかどうか?????

たとえば、
ことばによって、
仲間たちと連携を組めたり、
家族や友人と笑い合ったり、
励まされたり、感動したり、
自分の気持ちを表現したり、
理解したり、覚えたり、考えたり、
というのもできるようになったとしても、
その裏では、
詐欺や誹謗中傷やことばの暴力なども
まかり通るようになってしまったのだろう。
嘘だって、口実だって、大言壮語だって、
言おうと思えばなんだって言えてしまうから、
ことばって、
むつかしいと言えばむつかしいし、かつ
おそろしいと言えばおそろしいとも思える。

もはや、今となっては
ことばの無い世界というのは、
想像もできないからこそ、
ことばと生活は切っても切り離せないから、
ことばときちんと付き合えるようであれたい。

そのためには、じぶんに
ふさわしいことばを授かれたい。

でも、たまには、じぶんよりも大きな
大風呂敷も広げたい!

その大風呂敷に、ぼくは
何を詰め込もうか?
それとも、ぼくよりも大きくとも
それでもまだ小さなこの大風呂敷では、
何も詰め込められないか?!

令和6年7月31日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?