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考えることができないから。(横流しでなく灯台を。)

ぼくのこのブログでは、ぼくのnoteの
自己紹介欄でも申しているように、
好きなことや興味のあること、そして
じぶん自身が考えていることを書こうとしているですが。
たとえば、その、じぶん自身が
考えていることについて言うならば、
それはでも、そのすべてにおいてぼくは
じぶん自身で思いついて考えたとは言えないんだなあ。

つまりはさ、
なにかの本で読んだことであったり、
どこかで観たり聴いたりしたことであったり、
だれかから教えてもらったことであったり、
いわば、そういうような
だれかの考えられた事柄を拝借してでしか、
ぼくは、考えることができないから。

とは言えども、ぼくなりに思うことはね、
それらをただ横流しするようにして、
つまり、いわば、コピペをするように
ブログで書くというのはしたくない、
と思っているの。

横流しではなくって、たとえば
だれかのなにかの考えごとを書こうとするときには、
じぶんなりによく考えながら、その考えごとを
じぶんなりに言おうと出来そうになったらしるす、
もしくは、そのだれかの考え方のごとく
じぶん自身も成れたい、と思ったとすれば、
その考えを遠くの向こうのほうに
考えの「灯台」を置くようにして、
そちら側のほうへとボートを漕ぎ出すようにしるす。
ぼくは、もう、なんだか
このどちらかの方法でしか
考えることができなくて、なので
じぶん自身の「オリジナル」というものも、
できないんだなあ! ってゆうふうに、
あきらめているのよね。

そんなような、
オリジナリティも、独創性も、
なんにも無いようなぼくのような人のことを、
批判なされる方もおられるだろうけれども、でも、
ぼくはこういうふうにしか生きられないんだから、
しょうがない、と、思えたい。

ぼくは、ぼくなりに、
ぼくが感じる素敵な物事を、
素敵だなあ!!!! って想いながら、
この日々を過ごすことしかできないんだぜ。

令和5年12月25日

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