うさぎか、かめか、どちらでもないか。
「うさぎとかめ」のお話しで言えば、
ぼくは、どっちのタイプなのだろう?
って考えながら、でも、
結論としては、おそらく、
うさぎでも、かめでも、
どちらでもないんだろう。
まずはさ、
うさぎのように、
早かったり、出来たり、つまり、何かの
特別な能力があったりするわけでもない。
かと言って、
かめのように、
こつこつと着実に進んでゆく、
ってゆうのもね、ぼくには、
なかなかできがたい。
たぶん、どちらかと言えば、
特別な能力みたいなものが無いような
ぼくとしては、
かめのごとく、ゆっくり、ゆっくり、
進むほうだとは思うんだけれども。
いかんせん、その道中ではさ、
うさぎのごとく、休みたい、というか、
ゆっくりの歩みだったとしても、
すぐに疲れて寝ちゃいたくもなるから。
ぼくは、かめは、かめでも、
うさぎのように休むかめなんだわ。
そんなふうに考えてみれば、つまりはさ、
かめのような
「持続性」みたいなのは無い、
とも言えるやもしれないな。
このことを考えながら思い出すのはね、
吉本隆明さんがおっしゃっていた
「10年間、毎日、続ければ、
どんなことでも一丁前になれる。」
のことばかなあ〜。
「10年間、毎日、続ければ、」
とは言っても、ひたすら、毎日、
すべての時間休むことなく行い続ける、
ということでもなくって。
たとえば、文章を書くのだとすれば、
1行でも、もしくは、1文字でも、
それもできなくとも、机に向かい、
原稿用紙の前に座るだけでもよいから、
それを、毎日10年間続ける、
とのように言われていたとは存じますが。
それは、たとえば、なんだろう、
楽器でも、スポーツでも、
数日間練習を休んだら、
もとにもどるまでが大変、
とのようなことも聞いたことあるけれども、
そういうのとも関連しているのかなあ?
くわしい根拠のようなことは、
ぜんぜんわからないんですが。
このことばをはげみにしながら、
毎日、1歩、進んでは、
休んじゃうかめだったとしても、
競争には負けちゃうとしても、
すんごいゆっくり進みながら、
いつか、どこかへはたどりつく、みたいな、
そんなペースで生きられたら、と思う。
そう思うとすれば、
やっぱり願いたいのはさ、
どうか、毎日、健康で、
と、祈りたいの。
令和4年9月26日