20180614花

初めて知って驚いて。

このごろは、ほぼ日にかんけいしたことを何回かこのnoteで申しておりますが。

まだまだもうあとすこしだけ、さいきん、ほぼ日を読んで、いいな、と思ったことを申しあげます。

それはさ。

5月28日から6月5日まで連載されておりました糸井重里さん×古賀史健さん対談「同じじゃないから、愛がある。」で、糸井さんがおっしゃったことなのですが。

対談では、「手で書くおもしろさ」についておはなしされておりまして。この「第5回」のなかで、糸井さんが、漢字の「藝」と「教」のちがいについておっしゃっておりました。

まずは、すこし長くなりそうなのですが、このばめんの引用を申します。。。

糸井 このあいだも、「万年筆持っててよかった」という日があってね。たしか1月の‥‥あ、これだ。漢文学者の白川静さんのお弟子さんにあたる校長先生の講演を聞いたときのメモなんだけど。

古賀
 おおー。

糸井 これはね、芸術の「藝」という字のもとなんです。
「人がひざまずいて、植物を育てている」
という象形文字から、
漢字ができていったらしいんですよ。
つまり「藝」は、
「植物を育てている」という象形文字に
くさかんむりがついた字なんです。

古賀
 へぇー。おもしろいですね。

糸井
 日本では昔、先生を育てる学校には
「学芸大学」とつけていたんです。
学芸ということばは
「藝」の象形文字を見てわかるように、
「ひざまずいて、育てる」ということを
意味しているんですね。

古賀
 はい。

糸井
 だけど、ある時期から、
各地にあった「学芸大学」が
「教育大学」という名前に変わったんです。
さて、教育大学の
「教」えるという字は、
どんな象形文字がもとになっているのか。
実はこれが、
「鞭で躾ける」という象形文字なんだって。

古賀
 鞭‥‥ですか!

糸井 だから教育と学芸は、
同じような意味だと思われているけど、
じつは、似ているどころかぜんぜん違う。

古賀
 そうか。

糸井
 芸術の芸も、園芸の芸もそうだけど、
ある時間の中で、
自然に手を入れて、育てている。
ひざまずいて、育てている。
そういうことを教わったんですけど‥‥
ちょっと感動するわけですよ。
こういう想像は、
キーボードを「叩く」ことからは
やっぱりできないです。

古賀
 そうですね。

(ほぼ日刊イトイ新聞、糸井重里さん×古賀史健さん対談「同じじゃないから、愛がある。」第5回(2018-06-01)より引用です。)

‥‥という、この「藝」と「教」の漢字のちがいについてのことを、ぼくはここを読んで初めて知って、えーっ!!! って驚いたんですが。

なんだか、まだ、うまくは言えないかもだけれども、いろいろなことを考えられそうな気もして。

えーと。

引用をしてたら、noteが長くなってしまったので、このこと、また次回のnoteで申しあげます。。。

平成30年6月14日


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