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あきらめて、飛びこむ。

やらなければいけないこと、だけでなくって、
やっておいたほうがよいこと、とか、
やりなさいと言われたこと、とか、
やるとじぶん自身で決めたこと、とか、
を、やる、というときには
それらは必ずしも、その人にとって
「やりたい」ではない場合がある。
つまりはさ、
やりたいことを、
やりたいときに、やる、
というわけにはゆかないこともある。

やりたいんではないことを、
やろうとするときには、どうしても
やだなあ、めんどくさいなあ、だるいなあ、
やりたくないなあ! って、
思ってしまうのもいたしかたない。

それでも、それらは
やらなければいけないし、
やっておいたほうがよいし、
やると決めたんだし、
やりなさいと言われたことだし、つまり、
やるし、するし、おこなってゆくんだ。
とは言いつつ、でも、やはり
気が乗らない状況もある。

こういうふうに考えるときにね、
ぼくがよく思い出すのは、以前
明石家さんまさんが言われていた
「掃除」のお話しでして。
さんまさんが新弟子時代、お弟子さんの仕事として
掃除をしていると、師匠の笑福亭松之助さんより
「掃除はおもろいか?」と訊ねられ、さんまさんは
「いや、おもろないです」とのように答えると、松之助師匠は
「そうやろ、そやからおもろぅするんや」と言った。
つまり、どうすれば
おもしろくなるか、そして、たのしくなるか、
を考えなさい、という
師匠からの教えなのだったと存じますが。

このことを知って、
さんまさんと松之助さんのご関係、
とっても素敵だなあ、と思いながら、この
「おもろぅするんや」のことって、
なんにでも言えるとも思いました。

たとえば、学校の勉強だってもね、
おもしろくない、なおかつ
たのしくないんだとしても、それでも
おもしろく、たのしく、
しようとすることはできるやもしらない。
おもしろくやってはいけない、
たのしくやれば、損をする、
ってゆうわけでもないのだし。
そのほかのことでもなんでも、結局、どのみち
やらなきゃいけないことだったらば、
どう思いながらそのことをやってゆくか?
できれば、やっぱり、おもしろくできたほうが
たのしい気がするもん。

とは言えども、そんな
「おもろぅするんや」というのを考えるって、
つまり、その人の心の中の
意識のちがいみたいなことだとも思うけれども。
意識を変えるかのごとく、
おもしろくないことを
おもしろくする、って、
どうしたらできるんだろう?!

そのことをまたあらためて思い出しては
考えているぼくだっても、
めんどくさがりで、かつ、ものぐさなので
なかなかそう考えられないけど。
今のところのぼくが思っているのは、
「あきらめる」なんじゃあないかなあ、と。
やらなきゃいけないことは、
やらなきゃいけない、って
あきらめて、やりはじめる。
まずはそこからだと思うのよね。

たとえば、陸上のペンギンたちが
一羽ずつ海の中へ飛びこむみたいにして、
ぼくも、あきらめて、その
「やらないといけないこと」の中へ飛びこめたい。
飛びこんだら、案外、その中では
うれしいこともあるやもしれない〜。

令和6年6月13日


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