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「春眠」と言われるぐらいだからこそ。

「春眠」ということばもあるけれども、
春が近づいている、というか、もうすでに
春に成りかけの今日このごろはね、
めっぽう、眠い。
朝もぎりぎりまで寝ていたいし、
むしろ、ぎりぎりのときを
過ぎてしまったとしてもまだ寝てたい。

いや、でも、この上で
「春眠」ということばを申したけれど、
春だから眠い、と言うよりかは
春夏秋冬及び梅雨における年がら年中、
ぼくは眠たい気がするなあ。

とは言えども、やっぱり、
春だからこそ、
暁も覚えないのでしょう。

「眠る」って、
なんだろう? とも思える。

人間だけでなく他の生物もすべて
眠るかどうかは存じないけれども、
眠っているときとは、人間は
完全に無防備でもあるのだし、
起きているときと比べれば、
生産性はなんにも無い。
でも、人間はみな、
日々、眠るようになっている。

人間が眠っているときは、
無防備かつ生産性も無いからと言って、
そんなのは意味が無いんだから、つまり、
眠ってしまえば、
獣たちにも襲われ、及び、
食料にもありつけないため、
人間という生物の進化の過程において
「眠る」という行為が無くなった、
というふうには成らなかったわけだから、
「眠る」というのも、
なんらかの価値があるのだろうし、
重要なことなのだろうなあ。

もしくは、逆を言えば、人間及び生物とは
「起きている」という状態のほうが異常で、
つまり、身体の消耗が激し過ぎるからこそ
眠ることによって、その消耗を
回復させなければ生きてゆけない。
でも、起きているときでしか、
生きるために必須とも言える
「食べる」こともできないのだから。
そう考えれば、「起きる」と「眠る」って
微妙なバランスで成り立っているんだろう、
とも思える。

人間の活動を司る神経には、
「交感神経」と「副交感神経」というのが存在する、
と聞いたことがあるけれど、自動車で言えば
「交感神経」がアクセルで、
「副交感神経」がブレーキである、
ともすれば、同様に、
「起きる」のほうがアクセルで、
「眠る」のほうがブレーキなのだとも言えるかな。
ならば、眠っているときに見る
「悪夢」とは、
どんなブレーキなんだろう?!

「春眠」と言われるぐらいだからこそ、
春はたくさん寝るのだから、
春には「悪夢」も増える。
なのだとしても、
春は、眠たいから、寝る。
そして、寝ているときに
悪夢を見たら、起きてからその
悪夢のことを考えるか、それとも
悪夢を見たことを忘れるか。
もしくは、
良い夢を見るのか。

と思うともすれば、
春は、とくに
夢を見る季節なのだと言えるなあ。

そんなことを考える、春分の日。

令和6年3月20日


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