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かいぎとピーステーブル。

さくじつは、映画館にて、
豪田トモさん監督の映画作品
『こどもかいぎ』を観てきました。

映画、すばらしかったなあー。

『こどもかいぎ』は、
こどもたちがさまざまなテーマについて話し合う
「こどもかいぎ」を行っている保育園に、
1年間密着する、というドキュメンタリー映画でして。
映画のナレーションを糸井重里さんがつとめていて、
そこから、「ほぼ日」では、
豪田トモさんのインタビューが連載され、
この連載を読んで映画を知ったのですが。

映画を観てから、なんだか、いろいろ、
ぼんやり頭の中で考えているの。

ぼくは保育のことは全く存じ上げないのですが、
でも現在、パートの学習塾講師として、
小・中学生の生徒さんと接しながら、
ときどき、会社の別部門のヘルプとして、
幼稚園や保育園の生徒さんと接する機会もあって。
そういうときには、けっこう、みんな、
話せば通じる、というか。つまり、
こどもではありながら、ひとりの人間として、
気持ちがあったり、想いがあったり、考えがあったり、
というのは感じられるし。はたまた、
さまざまなテーマについて話し合う
「こどもかいぎ」のような会議とは、
おとなでもむつかしいと思えるから。
そう考えてみると、ある意味では、
こどもも、おとなも、
似たようなものやもしれない、とも思ったりする。

そもそも、ぼくとしては、
「こども」とは何なのか? とか、
「おとな」とは何なのか? ってゆうのもね、
ぼくは今年で40歳に成ったけれど、
あんまりよくわかっていない。

なんだか、逆に、おとなのほうが、
理不尽で、卑怯で、ずる賢くて、悪巧みを企む、
みたいなこともあるやもしれないし。
それは、つまり、ぼく自身だっても、
そういう面が無いとも言い切れないだろうし。
こどもも、おとなも、
ひとりの人間として、
よいところも、わるいところも、ある、
って言えるのかもしれないなあ。

この保育園では「こどもかいぎ」の他には、
「ピーステーブル」と呼ばれる机があって、
ピーステーブルとは、たとえば、
喧嘩をしてしまったこどもたちがこの席に座って、
こども同士、ふたりだけで話し合う、
という場所なのですが。
ピーステーブルで話し合ううちに、
相手の気持ちもわかってくるし、
じぶんの考えも整理がついてくるし、
完全な解決はできなかったとしても、
喧嘩や言い合いがおさまる、
という映画のシーンがありまして。

なんとゆうか、ぼくとしてはさ、
おとなに成ってから、というか、いや、つまり、
成人の年齢に成ってからでも、
あるトラブルをなんとかできたら、
という気持ちを持ちながら、
面と向かって話し合ったとしても、結局、
こじれるだけ、みたいな場面もあったから。
それらのことは、ぼく自身が
卑小だったせい、だとは思うのですが。
そういう経験からも、ことばを伝え合うことは
とてもむつかしいと実感している、というか。
たとえば、ぼく自身が
「ピーステーブル」についたとしても、
どれだけ、ピースになれるか?! ってえのは、
わからないやもしらない、
とも思ったんだった。

そして、映画を観ながら、ちょっと
泣きそうになったシーンがありまして。
そのシーンというのは、園児たちが、
三輪車などなどの乗り物に乗って遊んでいて、
でも、全員分の乗り物は無いから、
ある園児は乗れず、
(だれか替わってくれないかなあ。)
と思いながら座っていると、
その前を通ったある園児が三輪車を替わってくれて。
そして、替わってもらった三輪車に乗りながら
一周して戻って来たら、
替わってくれた園児がそこで待っていたから、
また、替わってあげて、
そして、一周して来たら、
また替わってあげて、
そして、また一周したら、
また替わってあげて、
というその場面がさ、やさしくって、
なんだか泣きそうになった。

おそらく、映画『こどもかいぎ』とは、
保育について、及び、教育について、そして、
こどもたちがどうしたらおとなになれるのか、
みたいなことが描かれていたやもしれないですが。
ぼくとしては、このぼく自身が、
どうしたらおとなでいられることができるのか、
という、そのヒントとしても、
観ることができるやもしれない、
みたいなことを感じたのよね。

ミーティング、アンド、ピース。

令和4年7月31日


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