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ことばはどのようにして生成されるのか?

言ったり、書いたり、思ったりするときの
「ことば」とは、この
ぼくのあたまやこころの中で、
どのようにして生成されているんだろう?
ってゆうことはさ、なんだか、
たまに考えてみるんだけれどもね、
よくわからないちゃあ、よくわからない。

たとえば、
なんにも思ってなかったようなときに、
なにかを思いつく、というときもあるし。
また、相手との会話や対話のときでは、
それまで考えたことのないことを
考えつくときだってもあるし。はたまた、
その会話の流れの中では、それまで
まったく忘れてしまっていたことを、
ふと、思い出したりするときもある。

そういうときにはさ、この
じぶん自身のあたまの中では、
どういうことが巻き起こっていて、
それが、どのようにして
「ことば」に成るんだろうか???

とは言えども、それはさ、
よいことだけに限らず、たとえば、
(いやだなあ。)って感じたことを
「いやだ」と思いつくこともあれば、
そのことを、これは
【いやだ】というふうにして、
ことばに成るときもある。

もしくは、
ことばに成らないときもある。

ことばに成らないまま、
忘れてしまうこともある。

すぐには、
ことばにはできがたくとも、
しばらくの時間が経ってから、
ことばに成ることもある。

そのことばを、
だれかへ伝えられる場合もあれば、
だれかへ伝えられないまま、じぶんのなかで
とどまりつづけることばもあるやもしれない。

しばらくの時間が経てども、まだ、
ことばには成らなくって、
そのふわふわした状態のままで、
じぶんのこころに居続ける、
ということもあるやもしらない。

そのふわふわした状態を、
がんばって、なんとかして、
ことばにしようとしてみてもよいし。
がんばらずに、べつに無理せずに、
ことばにしようとしなくてもよい。

そういうような、
ことばに成るとか成らないとか、
ことばにするとかできないとか、
のことについて考えるとすれば、この
「ブログ」を書く、ということにも
それは当てはまると思うんだけれども。

ぼくは日々、ブログを書きながら、
でも、ぼく自身がさ、
なにをブログで書き、そして、
なにをブログを書かないか、ということも、
ぼくの中で、どれがどのように作用されながら、
ブログが書かれているか?! ってえのもね、
よくわからないちゃあ、よくわからないんだなあ。

つまりはさ、そういうことが
「よくわからない」からこそ、
ブログを書こうとする、ってゆうか。
逆を言えば、そういうことを
「よくわかっている」んならば、
ブログなんて書かないやもしらないな〜。

令和5年2月20日


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