表紙14

其の十五 もろにひっくり返って

《2008年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

んども、こんにちはっ!

前回noteでは、吉本さんが「自分の持っている文学的素養と、世界を把握する学や認識とを、もし連結することができればおれは生きていられるな。」とおっしゃったばめんでした。

このつづきを〜。

で、それ。それ、それだけのことを考えないと、やっぱり生きていける、っていう気が…。あの、えー。敗戦のときに、ときですね。ときに、僕には思い浮かびませんでした。(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_13:49〜)

敗戦のときに。。。

夢中になって、えー。戦争に、自分なりに、あの、協力し貢献し。そして、主体的に戦争っていうものを考えて、って言うふうにやってきましたから。

それまで、夢中で、協力して、貢献して、、、

あの、こう。急に。

というそれが急に、

僕がその「戦争をやめろ。」って言ったわけでもないし。「戦争を、おれはやめたから、もう戦争やめようじゃないか。」って人に言ったわけでもないし。それなのに、戦争がやまっちゃう。って。

戦争が、やまっちゃう。

やまって、もう、なんて言いますか、もろ。もろに現実自体の、ひとびとの言葉も考えかたもひっくり返ってしまう。っていう。

ひとびとのことばも考えかたも、もろに、ひっくり返ってしまって。。

じぶんのあずかり知らないところでとつぜん世界が変わってしまうことについて、吉本さんのどの著書だったかは失念しましたですが。どこかで、読んだなー。

あの。そういう事態に対して、僕は、なんらかの世界を把握する方法を自分が持てなかったらもう生きていく甲斐がないよ。っていうところが、本音のところで。

こういう事態に対して「なんらかの世界を把握する方法」を自分が持てなければ、もう生きてゆく甲斐がないよ。

それが、できるようになるまで、えーと、えー。たぶん、たしか5、6年かかったと思います。

‥‥と、吉本さんおっしゃる敗戦からの5、6年間。。。

ではでは、つづきは次回noteで聞きます。こんな感じで、すこしずつ、すこしずつ、前へ。そとでは、つよい風ー。

平成28年8月29日



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