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神意によって選ばれた木を【新】しく切り出す。

『シン・ゴジラ』の映画を観たときにね、
『シン・ゴジラ』というタイトルの
『シン』とは、映画観る前には
「新」しいゴジラ、的なことだと思っていたけれど、
じつは、それだけではなくって。たとえば、
「神」とか、「震」とか、「侵」とか、
「審」とか、「進」とか、「寝」とか、
などなどのことばの意味も込められている、
という批評を読んだりしながら、
なるほどぉ、たしかに、そう感じられる、
と思ったんだった。

そして、このたび観ました
映画『シン・ウルトラマン』でもね、この
『シン』とは、やはり
「新」だけでなくって、
「神」や「震」や「侵」や、という以外にも、
「信」とか、「心」とか、「身」とか、
「真」とか、「慎」とか、「紳」とか、
「深」とか、「清」とか、「申」とか、
などなどの意味も、
込められているようにも思ったなあー。

そして、毎月13日には、
漢字のことを調べてみる
「リッシンベン調査団」というシリーズを
このブログで更新しているのですが。
今回はさ、この「シン」のことから、
やっぱり、でも、
【新】という漢字を調べてみたい。

なので、いつものごとし、
白川静先生の『常用字解[第二版]』を
ひもといてまいります。。。

【新】 シン/あたらしい・あらた・にい
会意。辛と木ときんとを組み合わせた形。辛は把手とってのついた大きな針。位牌いはいを作る木を選ぶとき、この針を投げて選び、針の当たった木をおので切ることを新という。神意によって選ばれた木を新しく切り出すことで、「あたらしい、はじめ」の意味となる。この神意による木の選定方法は、重要な建物の建設場所を決めるとき、神聖な矢を放ってその到達地点を建設場所とするのに似ている。切り出した新しい木で位牌を作り、その位牌を見て拝む形は親で、祖先を祭るみたまやの中に新しく祭られる人であり、おやの意味となる。位牌を作った残りの木は薪(たきぎ)として火祭りのときに使われた。国語の「あたらしい」は「あらたしい」の誤りで、「あらたしい」は「あらた(初めて生まれ出ること)」を形容詞とした語である。

【新】とは、
【辛】と【木】と【斤】を組み合わせた形であり、
たとえば、位牌を作る木を選ぶときには、
取っ手のついた大きな「針」である
【辛】を投げて、この
【辛】が当たった木を斧で切ることを
【新】と言う。そして、切り出した
【新】しい木で位牌を作り、この位牌を見て拝む形が
【親】である。

という、白川先生のこのご説明の中でもね、
【新】以外で、
【辛】や【針】や【親】というような
「シン」の漢字が登場していて、
なんだか、おどろいたなあ。

あとはさ、
【薪】という漢字がどうして
「くさかんむり」に【新】なのか?!
ってゆうのもすこし気になっていたので、
なるほどぉ、と思いました。

はたまた、でも、
白川先生のご説明での
「重要な建物の建設場所を決めるとき、
 神聖な矢を放ってその到達地点を建設場所とする」
というのはさ、なんだか、
『シン・ウルトラマン』のストーリーの
メタファーのようにも感じられるかもなあ?????

【新】の漢字とは、
なんかうまくは言えないけれども、
ただ単に「あたらしい」という意味でなくて、
たとえば、
時代とか、文化とか、社会とか、というものが、
祖先から祖先へと引き継がれながら、
人類が生きてゆく、つまり、
世界が「更新」されてゆく、
的なことなのやもしんないなあ。

そんなこんなの
「シン」について、
今回はこんなことを考えてみました〜。

令和4年6月13日


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