表紙14

其の十六 自分が何をすればいいんだ

《2008年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

はろー、こんにちはっ。

前回noteでは、自分なりに夢中になって協力し貢献した戦争が急にやまってしまって、人々のことばも考えかたもひっくり返ってしまって。そういう事態に対して、「世界を把握する方法」を自分が持てなかったら生きてゆく甲斐がないよ。それができるようになるまで、たしか5、6年かかった。と吉本さんおっしゃったばめんでした。

こんかい、このつづきですー。

で、5、6年のあいだ、必死になってこれでなけりゃおれは生きていけねぇ、って言う。いけないぞ、って言うつもりで、一所懸命。まあ、一生のうちで初めてこの怠け者が一所懸命、なんか勉強したり、あの、考えたりしたと思います。(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_15:14〜)

これでなけりゃ生きていけないぞ。って言うつもりで。。。

で、だいたい5、6年くらいになりますと、そういうのが把握できて。それで自分が何をすればいいんだ、って。まあ、差し当り、いろんなことしないといけないでしょうけど。

それで、自分が何をすればいいんだ?!

まず、この、なんて言いますか、この世界を把握する方法と、自分がつかんだ方法と。それから、自分がもともと戦争中から持っていた文学的素養って言うのを、くっつける。

5、6年かけてつかんだ「世界を把握する方法」と、もともと戦争中から持っていた「文学的素養」とを、

くっつける、って言いますか、連結する、って言うことをまず仕事としてやることとして、やろうと。それができないならば、おれは別にもう生きてる甲斐もないよ。って言う。そういう考えかた、だったから、そういうふうに考えてきました。

「連結する」ということをまず仕事としてやろう、と。

それで、それがつまり今日お話しする、要するに僕の言葉で言えば。えー、あの、あれなんですよ。「芸術言語論」って言う。

それが、この、吉本さんのことばで言えば「芸術言語論」である。

とのこと。。。

えーっと。たぶん、このあたりでね、講演のプロローグからいよいよ本編へと入ってゆきそうな。このつづきはまた次回noteで聞きます。どんどんと、でも急がずに、聞いてまいりますっ!!

平成28年8月30日



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