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目に映らない寒さ。

冬の寒さ、ってえのも、
体では感じるけれど、
目には見えないな。

この目の前にある空気を、
手ですくってみたとしても、
気温としての寒さは、目に映らない。
真冬でも、真夏でも、
その色味は変わらない。ともすれば、
気温とは、季節とは、何なのか?

たとえば、空気を
手ですくったその外側にね、
雪が映りこんでいたら
冬だとわかるやもしれないし、
陽炎がゆらゆらしていたら
夏だとわかるやもしれないし、
桜の花びらが舞ってきたら
春だとわかるやもしれないし、
紅葉が鮮やかならば
秋だとわかるやもしれないし、
さらには、
人々の服装とか、街の雰囲気とか、
そういうのでもわかるやもしれない。

でも、空気だけを見れば、
気温も、季節も、天気も、日付も、時代も、
なんにもわからない。

それって、
あたりまえのことではあるけれども、
不思議なことだなあとも思うのよね。

じつは、今日のブログの見出し画像はさ、
今からちょうど4か月前、
8月30日の快晴の空の光景なのですが。
ぼくが、写真が下手だからかもしれないが、
その光景が、真夏だというのは、
ぜんぜんわからないな。

夏の陽射しも、
冬の木枯しも、
春の木漏日も、
秋の夕焼けも、
袋には詰めらんないけど、
その気温と、その季節と、その感覚と、
そのときの気持ちを、
真空パックしておけないもんかなぁ。

この冬の季節も、
またすぐに春になって、
保育園だったあの子も、
小学校へ入学して、そして、
もっともっと大きくなってゆくんだろう。

今は、この今しか、
ないんだなあ。
とか想ったりする、年末〜。

令和3年12月30日