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「むかしむかし」よりも、もっと大昔の時代。

「むかしむかし あるところに」
という書き出しの昔話って、
よくあると思うけれど、この
「むかしむかし」という時代がさ、
いつごろなのかは存じないけど、
「むかしむかし」という書き出しから始まるどの物語よりも、
もっともっともっと大昔の時代に、
恐竜が存在していた。

その時代とは、
江戸時代よりも、
室町時代よりも、
平安時代よりも、
飛鳥時代よりも、
石器時代よりも、
ずっと、むかしむかし、だ。

恐竜の時代とは、
三畳紀とか、ジュラ紀とか、白亜紀とか、
というのは聞いたことあれども、
とくにはさ、ジュラ紀の「ジュラ」って、
なんなん?! と思ったりもする。
でも、なんだか、なんとなく
「ジュラ紀」という語句の響きは、
けっこう、すき〜。

恐竜が、人類によって
いつ判明されたのか?????
ってえのもぜんぜん知らないですが。
現在、恐竜はすでに絶滅していて、
化石からしかその実態は判らない、とは思うけど、
でも、恐竜の化石は、
江戸時代でも、平安時代でも、石器時代でも、
ずっと地中で眠っていた。

この化石を、
あるときに掘り出して、そして、
「これは『恐竜』だ!」
と考えた人がいる。
ってゆうことなのだろうかなあとは存じますが。
もしかしたらその人よりもずっと前、たとえば、
平安時代のころとか、
石器時代のころとか、の時代でね、
恐竜の化石を掘り出した人がおられたとして、
「これは『恐竜』だ!」
と考えた人もいるやもしれない。
でも、なんでしょうか、たとえば、
「万葉集」や「古今和歌集」や「新古今和歌集」には、
その歌の中で「恐竜の化石」は
登場しないと思うし、はたまた、
「万葉集」と「恐竜」って、なんとなく、
相容れないものようにも感じられる。

じぶんなりに考えてみるとね、
恐竜の化石を見て、
「これは『恐竜』だ!」
と考えるって、とてもむつかしいように思う。
そのためには、おそらく、
生物学的な知識が必要なのだろうし。
そもそも、ぼくが持つ付け焼き刃の知識では、
何も告げられずにその化石を見せられたとしても、
「これは『恐竜』だ!」
とは、絶対に判らないだろう。

そう考えてみると、
恐竜とは、
「知識」の象徴、と申しますか。
さらに言えば、未来になればなるほど
判明することが多くなるんだとすれば、
恐竜とは、
「過去」の存在でありながら、且つ、
「未来」の象徴でもあるやもしれないなあ。。。

むかしむかし あるところに
おじいさんとおばあさんがいました
おじいさんが やまへ しばかりにいくと
そこで おおきな おおきな 化石をみつけました
おじいさんはその化石をもちかえり
おばあさんといっしょに 
けんきゅうをはじめました

‥‥というような書き出しだったら、
まったく「昔話」感が出ないもん。

恐竜が登場すると、
なんとゆうか、一気に、
未来感が出てくるような気がするのよねー。

令和4年6月26日


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