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ガラパゴス。

折りたたみ式携帯電話のことを、
「ガラパゴス携帯」、略して
「ガラケー」と呼ばれるようになったのは、
いつごろのことだったっけ。

ぼくは、iPhoneを使い始めたのも、
けっこう遅いほうだったから(2014年ごろかな)。
それまでは、もちろん、
折りたたみのケータイを使っていたですが、
「ガラケー」ということばを、いつ、
じぶんが知ったのかは思い出せない。

日本の携帯電話は、
世界の基準とは離れて日本独自の開発が進み、
「ガラパゴス諸島」の生物のように進化を遂げたから、
「ガラパゴス化した携帯電話」
とのことなのですが。

「ガラケー」というのは、
世界から取り残されて、孤立して、
世界基準に適応できず淘汰されてゆく、的な、
ネガティブな、とゆうよりも、もっと悪く言えば、
ばかにしたような言い方だとも思うのですが。
かつての日本の携帯電話が、
技術的に見て、どういうものだったのか? 的な、
くわしいことはよく知らないけれども。
なので、その後で登場することになる
海外のスマートフォンに、
シェアで敗れる、のかどうか、ってえのも、
あんまりわからないんだけど。

なんだか、その状況のことを
「ガラパゴス化」と呼ぶのは、
ガラパゴス諸島の生物たちに対して
失礼なのではないか?!
というのは、ずっと感じていた。

ぼくはさ、生物学的なことも、
ぜんぜんぞんじないんですが。
たとえば、ガラパゴス諸島に
多数の外来種生物を連れてゆけば、じきに、
ガラパゴスの固有種は絶滅してしまうやもしれないけど。
世界遺産でもあるガラパゴス諸島では、
世界に類を見ない生物がたくさんいて。
なので、つまりはさ、
「独自の進化を遂げる」ことを
「ガラパゴス化」と呼ぶのはよい、としても、
そこから、
「独自の進化によって世界基準に適応できず、
淘汰される」までのことを
「ガラパゴス化」と呼ぶのは、
ちょっと語句的にちがうような気がするの。

とは言っても、
「ガラパゴス化」で無いならば、
べつの言い方の「○○化」というのも、
思いつけないけど。。。

そう言えば、数年前、
母親の携帯電話をiPhoneに機種変更するときに、
母と一緒に、名古屋・栄の
アップルストアを訪れたのですが。
そのとき応対してくださったアップルストアの店員さんは、
母への説明の際には、
「ガラケー」と言わず、終始、
「折りたたみ携帯」と言っておられて。

俗称であり、さらには、
蔑称とも言えるかのような
「ガラケー」ということばを使わない。
というのは、もしかしたら、
アップルのマニュアル的に、
そうなっていたのかもしれないけれども。
この店員さんの雰囲気を見ながら、ぼくも
「ガラケー」って、あんまり、
言いたくないなあと思ったんだった。

それにしてもねえ、
「独自の進化」というのも、
なにがよくって、なにがわるいのか、
というのもよくわからないな。たとえば、
江戸時代の「浮世絵」だっても、
鎖国によって生まれた絵画文化である。
という説明も、聞いたことあるけど。
それらも「ガラパゴス化」と言えるのでしょうか。

ガラパゴス、
なんだかすげぇー、
って、思っちゃうんだけどねー。

令和3年2月20日