瞼。
ぼくは、今でこそ本を読むんですが。
20代前半のころまでは、もうほとんど読書しなかった。
それってぇのが、どうして、本を読むようになったのか?! と申しますと、当時通っていた専門学校の先生(安武先生)からのご教示でして。その20代前半ごろ、じぶんは、なんだかいろいろ精神不安定みたいなような面がございまして。いや、それはまだ今でもたくさんあるかもしれんが。。
そのぼくに、先生は「ひでしは本を読みなさい。」とおっしゃった。
先生からのことばの詳細は省きますが。この先生のことばに対して、ぼくは「どんな本を読めばよいですか?」と訊ねまして。すると先生は、
「君が何を読めばよいかは、わからない。ただ、私は、村上春樹さんの小説に救われたことは、ある。」
とおっしゃったので。ぼくは、なにもわからないままに地元の図書館へ行ってみて。そして本棚を探しながら、なんだか、ふと目についた村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』の文庫を手に取った。
読んでみますと、なんというか、とっても、おもしろかったの。
って、そういうように先生へ伝えてみると「それはよかった。」と言ってもらえて。それから、ぼくはいろいろな本を読むようになった。。。
この話しはさ、べつに「読書はすばらしい。」とか「村上春樹さんがよい。」とか「『国境の南、太陽の西』が傑作だ!」とゆうことを言いたいわけではなくって。
おそらくは、先生が、ひとりでちょっと考え過ぎてしまうようなぼくを見て言ってくれたことばであって。ぼくにとっては、これがちょうどよかったのかもしれないなあ。と感じている。
ですので、たとえば、あなたには、あなたの、あなたにとっての、「作品」や「方法」や「出合い」があるのでしょう。。。
このねぇ、『国境の南、太陽の西』という小説と出合って約10年のあいだ、図書館で借りながら何度か読んでいたんですが。このごろはさ、きちんとじぶんで持っておきたい!! とも思うようになって。文庫本を購入しまして。ひさびさに読み終えた。
読書においてよく言われることだけれども、まいかい読むごとに、ちがうことを思えるんだわ。
そんなこんかい、とくに「おぉー!!!」って感じたのは、、
僕は彼女と肩を並べて歩きながら、彼女はその心の中にどんなものを抱え込んでいるのだろうとよく思った。そしてそれらのものごとは彼女をこれからどこへ連れていこうとしているのだろう。ぼくはときどき彼女の瞳を覗き込んでみた。でもそこには穏やかな沈黙があるだけだった。彼女の瞼についた一本の小さな線は、あいかわらず僕に遠くの水平線を思わせた。
(村上春樹さん著『国境の南、太陽の西』講談社文庫、197-198頁より引用です。)
‥‥という【彼女の瞼についた一本の小さな「線」は、あいかわらず僕に遠くの「水平線」を思わせた。】の箇所での、「瞼」のこと。つまり、やはり、『その線は水平線』なのだなあ、と思いました。
♪まなざしは 闇を切りさいてぇ〜
平成30年3月24日
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?