成長と、変化と、バランスと。
「成長」ということばがさ、ぼくは、
どちらかと言えばあんまり好きじゃあない。
たとえば、なんだろうか、
「こころの成長」というようなことばを聞くとね、
どういう意味なんだろう?! って、
どことなく身構えてしまうの。
「成長」の語句を
『精彩版 日本国語大辞典』で調べてみれば、
【人・動植物などが育って成熟すること。
育って大きくなること。心身ともにおとなになること。】
と記されているですが。このように、
こどもや、動物の赤ちゃんや、植物に対して、
言うならばわかるけれども、、
こどもたちが「成長」する姿というのは、
すばらしいー。でも、
そうじゃあない場合には、たとえば、
「成長」って、
「長く、成る。」という熟語だと思うんですが、
「成長」しきった「成人」になった人に対しては、
身体のサイズとして、もう、
長くならない、というか。
大きくならない、というか。
ぎゃくに、長く、大きく、なってしまえば、
重くなる、とか、鈍くなる、とか、
悪い意味もふくまれてしまう。みたいな???
つまりはさ、
どこかが成長すれば、
どこかは必ず衰退する。的な。
なんとゆうか、大人になったあとでは、
なにかが、ただ、良くなるだけの
「純粋な成長」というのは、
起こらないんじゃあないかなあ。
って、思ったりもする。
仮に、たとえば、
どこかが良くなった、とすれば、
どこかは悪くなっている。
そういう「変化」はあるとしても、その「変化」が
どちらかに傾けば、どちらかのほうは
反対側に持ち上がってしまう。ってゆうような、
「変化のバランス」を取っている。
どこかが良くなれば、
じゃあ、どこが悪くなったのか? を、
かんがえたい。というかさ。
「成長」ということばを聞くと、
良くも、悪くも、そういうような
「変化」と「バランス」のことを思うのよね。
もう、純粋じゃあいられない、と、
しみじみ想うぜ。
令和3年9月18日