ひとりきりのときに。
ぼくは、本を読むのが好きなのですが。
たとえば、読書について、
「本を読んでも、大事なことは学べない。」
「本を読むのではなく、人と会いなさい。」
的な意見を見たり聞いたりすると、どうしても、
ほんとうにそうなのかなあ?????
と思ってしまうの。
そもそもはさ、
ぼくの場合は、読書って、
なにかを「学ぶ」ためにしているわけじゃあない。
って思っている。
ならば、でも、
なんのために本を読むか? ってゆうのも、
うまく言えないけれど、しいて言えば、
「さみしいから」なのかもしれないな。
さみしくなければ、つまり、
満たされているならば、
本を読む必要もないんじゃあないか、
とも思ったりもする。
本を読んでも学べない、そして、
人と会うことによって、
学ぶことができる、というのは、
もしかしたら真理なのやもしれないけれど。
でも、ひとつだけ、
人と会っても学べない、つまり、
本を読むことによってのみ学ぶことができる、
というものが、ある、と考えていて。
それはさ、たとえば、
「一人で過ごしているときに、
どのように思ったり考えたりするか。」
みたいなことなのですが。
人と会うときって、
人と会っているんだから、
自分も、相手も、
ひとりきりではなくって。
つまりはさ、
人と会っているときには、
「人は、ひとりきりのときに、
どのように過ごしているか。」
というのは、わからない。
人は、ひとりきりのときに、
どのように思ったり、
どのように想ったり、
どのように考えたり、
どのように感じたり、
どのように閃いたり、
どのように喜んだり、
どのように泣いたり、
どのように笑ったり、
どのように怒ったり、
どのように黙ったり、
どのように慄いたり、
どのように募ったり、
どのように望んだり、
どのように願ったり、
どのように祈ったり、
どのように悼んだり、
ってゆうようなことだけは、
人と会っても知ることはできなくって。
本を読んだり、小説を読んだり、
することによって育まれてゆく。
なんだか、ぼくとしては、
本を読む理由って、
そういうようなところにある、
と、思っているんだけどねえー。
それらがさ、とくに、
なにの役にたつか、とかは、
ぼくは知らん。
なにかの役にたつかたたないか、
って、
読書において、
そこまで重要なことじゃあない、
と、ぼくは思っている。
異論は、認めたい〜!!!
令和4年5月27日
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