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身体運動と近所を散歩するかのごとく。

日々、ブログをしるす、ということにおいて
そのブログをしるすのがね、たまには
じぶんの身体がつかれてたりして、
すこし億劫に感じてしまうときもある。
まあ、なんと申しあげますか、
今日がその日なんだけれども、
たまにはそういうときもある。

ブログをしるしたり、もしくは
文章をしるすことって、
椅子にすわって、机にむかって、
コンピュータのキーボードを打ったり、
ペンを持ち紙に文字を書いたりするだけで、
運動をするわけじゃあないのに、どうして
身体がつかれているようなときには、
それをするのが億劫に感じてしまうんだろう。

ってゆうのを考えながらぼくが思うのはね、
やはり、文章を書くことも
身体運動のひとつである。と。

たとえば、ある文章を書き始めてから
書き終わるまでのあいだには、
数十文字、数百文字、数千文字、そして、ぼくは
数万文字に及ぶ文章はしるしたことないけれども、
それだけの分量の文字を書いてゆく。
それってば、なんだか、
短いものならば50メートル走、
ちょっと長めのものならば1500メートルの持久走、
かなり長めのものならばマラソン、のような、
つまり、文章をしるす行為とは、
文字を置いてゆきながら、
それだけの距離を移動することなのだと思うの。

だからこそ、
つかれるのだろうし、なおかつ
つかれているときには、どこか
億劫にも感じてしまう。

でも、そんなときでも
重い腰をあげながら、ぼくだったら
近所を散歩するかのごとく、
文章を書き始めれば、その道中では
なにかを発見したり、
気持ちも落ちついてきたり、
歩いてよかった、って感じられたり、
そういうこともあるやもしらないな。

みたいなことをね、どことなく
つかれもある今日はしるそうと思って、
今、それが書き終わりそうな感じ〜。

身体がつかれているときには、
音楽もあんまり聴けないけれども、
心の中では、大好きな音楽を感じながら
日々、歩いてゆけたら。
そしてまた、じぶんの
おうちへと帰ってこられたら。。。

令和6年4月13日


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