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狭間。

ぼくがブログを書こうとするときに
気をつけたいことは、
なるべく、嘘をつかないこと、
なのだと思っているのですが。

今、その
「嘘をつかないこと」の前にね、
「なるべく」ということばをつけてしまったのは、
こう、なんとゆうか、生理的に
そうつけないと落ち着かなかった、というか、
ちょっと、ぼやかしたかった、というか、
嘘をつかない、ということは、
完全には無理かもしれない、というか。
つまりはさ、それが、ぼく自身の
ある種のだらしなさなのやもしれないけれども。
それはそれとして、ぼくとしては
なるべく嘘をつかないようにして、
日々、ブログを書けたい。

とは言ってみても、
「嘘をつかない」とすれば、
「本心を言う」のか?
と問われたら、それはまた、
ちょっとちがうかなあとも思っている。

「嘘をつかない」と、
「本心を言う」は、
イコールであるように見えて、
イコールでないような気がしている。

ぼくは、ぼく自身の「本心」って、
じつはよくわからないし。
もっと言えば、
「完全なる本心」なんて存在しない、というか。
つまり、ひとつの完全な
「本心」というものはなくって、
「本心」と「嘘」の狭間のような、
矛盾の中で歩いているような気がするのね。

ともすれば、
「本心」を言おうとするのも、
ぼくには、できがたいんだな。

せいぜい、ぼくにできることは、
じぶんが言おうとしていることばが、
「嘘」じゃあないかどうか?????
ってゆうのをね、なるべく、
考えようとすることだけかなあ。
そうしたとしても、どのみち
「嘘」はまぎりこんでしまうだろうけれど、
それは、それで、
しょうがないのやもしれないか。

そんなような、
「嘘」と「本心」の狭間のような通路の上を、
ふらふらとゆれながら、
歩いてゆけたならば。

令和4年7月19日


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