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友達とかすがいの救われる世界。

本日のブログでもまた、先日、映画館で鑑賞しました
『PERFECT DAYS』についてのことを書きたいですが。

映画の主人公である役所広司さん演じられる「平山さん」は
とても寡黙な方なので、ご自身のことを
ご自身の口より語られないからこそ、たとえば
周りの人たちも、及び、ぼくら映画の観客も、
平山さんがどのような生い立ちなのか?
みたいなことはほとんどわからない。
でも、映画のシーンでの平山さんのお姿を見るからには
平山さんは寡黙ではあるけれど、
他人とのあいだに強固な壁を作りながら、
誰しもを寄せ付けない、という人じゃあない。
どちらかと申しあげますと、
来るものは拒まず、去るものは追わず、
と申しますか、そしてまた、
他人に期待をしない、そして
ご自身の出来ることを一所懸命に行う、
という方なのだとぼくは解釈できると感じるですが、
とっても素敵だなあ! と、
映画を観ながら思っておりました。

昨日のブログの中では、平山さんに対して
柄本時生さん演じられる「タカシ」が
【平山さんってぇ、結婚してないっすよねえ?
 その歳で一人で? 寂しくないんすか?】
と訊ねるシーンについて、でも、そういうような、つまり、
結婚をしていれば、もしくは
恋人がいれば、及び、友達がいれば
【寂しい】という感情はまったく無くなるのか?
ってゆうのはぼくにはよくわからないな。
としるしたですが、ここからはまた
映画のねたばれを含めて申しますが、、




「友達」と言えば、平山さんの元へと突然訪れてきた
平山さんの姪、中野有紗さん演じられる「ニコ」が、
とある木のことを写真で撮影する平山さんに対して
【あの木は、おじさんの友達?】
と訊ねるシーン、良かったなあ〜。
このように考えられるニコの感性が素敵だし、
そしてまた、たしかに、この木が
平山さんの「友達」のようであり、
つまり、友達とは
人間同士だけじゃあなくてもよいのだし、
平山さんは、そんな
「友達」であるとも言える「木」に救われている、
というふうにも考えられるかなあ。

映画の公式サイトの「cast」では、
「ニコ」の人物紹介について、、

平山の姪。母親と喧嘩をして、鎌倉の家を出て
十数年ぶりに平山を訪ねてくる。
小さいときに平山だけが
自分の理解者だと感じることがあった。

映画『PERFECT DAYS』公式サイト「cast/ニコ」より。

幼いころ、おじである平山さんだけが唯一、
自分自身の理解者だと感じていた、
とされるこの「理解者」ということがね、
どういうふうに感じられてそう思ったのか?
というような詳しいことは存じないですが、
でも、なんだか、うまく言えないけれども
わかるような気もするのですが。

でも、ニコが
平山さんの元へと訪れてきたことによって、
平山さんも救われたようにも感じられるし、
はたまた、さらに言おうとするならば、
ニコが会いに来たことによって、
平山さんはニコの母親、つまり
平山さんの妹「ケイコ」と十数年ぶりで会うことができた、
というふうにも解釈できそう。

「子はかすがい」とも言われますが、
ケイコの娘、且つ、平山の姪である
ニコがあいだに入ることによって、
彼らは、また、再会することができた。
(ニコはそんなこと考えてなかったとしても…)
というそういう意味でもね、
平山さんは、そしてまた、ケイコは、
ニコに救われたとも言えるのかなあ。

そう考えてみるとね、もっと言えば
この映画の登場人物たちは、全員、
誰かから救われている、とも考えられる。
つまり、誰かのことを
積極的に救おうとは思っていなくとも、
その人が居ることによって、
すこしずつ、救われてゆく、
という映画だったやもしらないな。

たとえば、
平山さんから救われる人も居れば、
平山さんを救っている人も居る。
そんなふうにして、この世界が
成り立ってれば良いなあ、と感じました。

令和6年1月13日

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