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重要な情報と要衝の道路。

去年だったかな、もしくは一昨年だったかな、
最近ではある出来事がいつあったか、というのを
すぐ忘れてしまうんだけれども、ある日、
いつものようにお買い物へ行こうとして、
車でスーパーへとむかおうとすると、
いつも通る道が通行止めになっていた。

この道は、地形及び地理的に
この場所でしか通っていない、と申しますか、
迂回するには結構遠回りしなければならない道なのですが、
そうして迂回しながらスーパーへとむかいまして。
スーパーへむかいながら知ったことは、
この道が通行止めになっているからだろう、
ぼくがスーパーへゆく方向側の道路は空いているけれど、
反対車線は車が全く動かないぐらい渋滞していて。
帰りは大変だなあ、と思いながらお買い物を済ませて、
帰りは別の道でゆこうか、と、
国道のほうへと車を走らせるけれども、
この国道も途中のあたりから大渋滞で。
結局、スーパーから自宅まで帰るのに
普段ならば15分かからないぐらいなのに、
このときは1時間以上かかったのだった。

帰宅してからツイッター(現・エックス)で検索してみると、
その道の通行止めの理由はわかり、そして
夜にはテレビのニュースでも報道されていて、
ぼくは、のちのちになってから
SNSやテレビで何が起きたかを知ったんだった。
つまりはさ、たとえば、
あらゆるメディアのニュースによって、
日本国内及び外国の出来事を
いろいろと知ることはできるけれども、
でも、市内もしくは
じぶんの住んでいるご近所の出来事さえも、
リアルタイムでは知ることができない。

もしも、出かける前のときから
この道が通行止めになっている、
ということを知っていたとすれば、この日、
スーパーへ行かなかったやもしらない。
はたまた、この道の通行止めによって
周りの道路が渋滞している、
ということを知っていれば、通行止めの現場から
スーパーへはむかわず帰宅していたやもしらない。
スーパーに絶対に行かないといけない、
というわけでもなかったから。

でも、このときぼくは
これらのことを知るすべが無かった、というか。
たとえば、事前にSNSやネットをくまなく見ていれば
そういう情報は見つけられたやもしれないけど、
そんなこと想像もできないし、
事前の確認も予想もできないまま、
普段どおりで過ごしていたんだった。

このことから考えられる教訓としてはね、
どれだけのニュースを見ていたとしても、
じぶんの住んでいる周辺の出来事について、
じぶんにとってほんとうに重要な情報を、
リアルタイムで得ることはむつかしい、
ということかなあ。

あとはさ、この道が
市内のどの道なのかは申さないですが、
この道が通行止めになれば
市内が大渋滞になるぐらい、
要衝の道路だったんだなあ、
ということを知ったことだなあ〜。

ご近所もあわせたこの世界において、
今、何が起きているんだろう?

令和5年8月19日