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変わらない、という性質。

以前、何かのテレビ番組にて、
番組の内容はうろ覚えなのですが、
とある高校生の生徒さんが、
じぶんたちの学校は制服着用で、
制服でなくって、私服にしたい、と思って、
学校の制服着用のルールを変えたい!
というドキュメントが放送されていた。

高校生はその思いを叶えるために、
たとえば、
生徒会にかけあったり、
先生にたずねたり、
賛成か反対かのアンケートを取ったり、
みんなで話し合ったりされていた。

それで、最終的には、
制服を廃止して私服にしたい、
という意見に対して、
賛成の生徒もいれば、反対の生徒もいて。
反対の生徒の意見を聞くうちに、
私服にしたい、というこの思いは、
私服へ変わるのが反対と考えている生徒のことを、
傷つけることになる、と思って、
私服にしたいという思いを、あきらめた。

うろおぼえですので、内容の詳細は
すこしちがっているやもしれないですが、
このドキュメントを見ながら、
なるほどぉ、政治って、
つまり、民主的な政治って、
こういうことなのやもしれないなあと感じたの。

人民が権力を持つとされる
「民主主義」の政治って、
国民の意見が反映される、とすれば、
国民には、賛成や、反対や、という、
あらゆる意見があって。それらの、
あらゆる意見を聞いてゆくならば、
なかなか変えることはできないし、
無理をして変えてしまおうとすれば、
ルールを変えた人は、反対意見の人たちから
恨まれることもあるやもしれない。

だから、それを
決めるための方法として、
多数決というものがあると思うけれど。
多数決だっても、
確実な方法じゃあないかもしれない。
つまり、
多数が勝ち、少数が負けたとして、
少数側の意見が間違っているかどうか、
ってゆうのも、わからない、やもしれないな。

「民主的」とは、ある意味では、
なかなか、決まらない、
なかなか、変わらない、
という性質があるんだろう。

番組で登場された高校生の方が、
私服登校のために奮闘されながら、
でも、最終的には、
あらゆる意見を鑑みて、
あきらめる、というのは、
よいなあ、とも思いながら、
なんだかうまく言えないんですが、
この「民主的」な、
変わらない、という性質とは、
決して悪いものだとは言い切れない。
ってゆうのをね、
その番組を見ながら感じたのよね。

令和4年3月31日


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