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寒いときには。

こんなにも突然、寒くもなれば、
「寒い」のことしか考えられないな。

夏は、あんなにも
寒くなかったのに、
今は、なぜ、こんなにも
寒いんだろうか。

寒い〜。

突然寒くなってきた今日このごろ、
あらためて考えてみたのはね、
寒いときには、
服を着込めばよい。
ってゆうことなんだけれどもぉー。

これまではさ、寒くはなかったから
「半袖」で過ごしていたのが、
こうして寒くなったので、
「長袖」を着る。
たったそれだけでも、
体感はかなりちがって、
温かさを感じられる。

このことってば、
当たり前と言えば当たり前なんだけど、
不思議と言えば不思議だなあ。

つまりはさ、
「服」自体は、
温かくないんだから。

それ自体は温かくない「服」によって、
外気の寒さが遮断される。
ということだけでなくって、
じぶん自身の体温をも、
外へと逃さない。たとえば、
「お布団」もね、
このような原理だとは存じますが、
それだけで、温かい、って、
よくよく考えるとおもしろい。

そんなときにはさ、
人間の身体、つまり、
おれ自身の身体って、
温かいんだなあ、と思える。

かと言って、
お布団ならば、頭から足まで
お布団の中へ潜ってしまえば、
身体全体までが温かいけれど、
服を着込む場合では、なかなか、
そうもゆかないこともある。

ぼくの住んでいるところは、
どちらかと言えば温暖な地域なので、
完全な防寒着ってゆうのも、ぼくは
知っていないとも思うんですが、
たとえば、
靴下を履いたり、
手袋をつけたり、
ニット帽を被ったり、
耳あてを装着したり、
マフラーを巻いたり、
ハラマキを巻いたり、
コートを羽織ったり、あとは
何があるかぱっと思いつかないけれど、
たとえどれだけ着込んだとしても、
顔とか、頭とか、服と服の隙間とか、という、
身体のどこかしらは、
外気と接する部分があって、
そこから体温も逃げてゆくものならば、
それもあいまって、寒いんだろう。

そもそも、
人間の皮膚とは、どうして、
犬のように、動物のように、
ふさふさとした、もふもふとした、
「毛」で覆われていなくって、
身体の部分的には、
頭髪や髭や体毛はあったとしても、こう、
つるっとしているんだろう?

たとえば、お猿さんもね、
毛で覆われていて、でも、
人間の身体は、
毛で覆われていない。
その理由とは、なにかしら、
生物学的及び進化論的な論理として、
説明されているのでしょうか。

冬は、
服を着込めば、
寒くなかったとしても、
夏は、
服を脱いでも、
裸以上には脱ぐことができなくって、
裸になっても、暑ければ、
どうしたらよいんだろう?

いや、それは、また、
来年の夏に考えよう。

今考えたいのは、
突然、交差点で出くわした
「寒さ」のこと。
ぼくは、目の前におられる
「寒さ」に会釈をして、
この道を進んでゆこうか。

令和4年10月7日


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