どこからが病気なの

「スナップ・ダイアグノーシス」のこと。

前回noteでは、このごろ読んでおりました
いくつかの本についてブログ書いたですが。

これらの本のなかでもね、とくには、
ちくまプリマー新書の
市原真さんの著書『どこからが病気なの?』は、
「病気」や「医療」のことについて、
これまで知らなかったり、考えたこともなかったり、
のことが、たくさん書かれてあって、
おもしろかったなあ。

余談なんですが、
ぼくはこの「ちくまプリマー新書」が好きで。
「ちくまプリマー新書」は、
中高生向けとして書かれた書籍なので文章がわかりやすくて、
また、ページ数も少なめなので読みやすい。でも、
内容は、とっても大事なことが書かれてある。
というような。たとえば、、、
・内田樹さん『先生はえらい』
・山岸俊男さん『「しがらみ」を科学する』
・吉本ばななさん『おとなになるってどんなこと?』
・森達也さん『たったひとつの「真実」なんてない』
・橋本治さん『ちゃんと話すための敬語の本』
・秋山具義さん『世界はデザインでできている』
などなどの本をこれまで読みました〜。

そして、この
市原真さんの『どこからが病気なの?』では、
うえでもしるしました「病気」や「医療」のことが、
病理医ヤンデルさんこと市原さんのツイッターのような
ユニークなことばで書かれていて。

そのなかでもぼくは、さまざまな比喩でのご説明が、
素敵だなあと思いました。

たとえばさ、お医者さんが、
診察室に患者さんが入ってくる瞬間に、もう、
診断や処置や治療を考えついてしまう。
ということがあるらしくて。このことを、
「スナップ・ダイアグノーシス」と言う、とのことですが。

このことについて、たとえば市原さんは、、

 今、あなたの耳元を、羽音を立てて何かが通り過ぎたとしよう。あなたはそこで、音の方をみて、飛んでいる物体に焦点を合わせて、ハチか、ハエか、確認してから顔をそらすだろうか? そんな悠長な人はいないと思うのだ。
 耳元でブーン → ウッギャと叫んで首をすくめて飛び退く → 音が聞こえないところまで逃げながらそちらを見る → 虫らしきものが見えたらさらにまたフギャアと叫びながら、時間をかけて物体を目視 → 「なんだハエかよ」とようやく理解。
(市原真さん著『どこからが病気なの?』55頁より引用です。)

じぶんの耳元で何かが羽音を立てて通り過ぎる、
というシチュエーションを挙げておられて。

そんなとき、飛んでいる物体を悠長に確認はできない。

できることと言えば、ウッギャと叫びながら飛びのき、
音が聞こえないところまで逃げながら、
何かが見えたらフギャアと叫び、
時間をかけて目視しつつ、
なんだハエかよ、と安堵する。みたいな。。。

こういうことは、もちろん、
ぼくもたまにあることなんですが。

このシチュエーションが、お医者さんの
「スナップ・ダイアグノーシス」と似ている。
とのことでして。つまりは、、

 耳元で何かがブーンといったら、まず逃げないと! もしハチだったらゆっくりそっちを振り向いている間に刺されるかもしれない。耳の中に入ってきたらいやだ。髪の毛は黒くてハチが好きだっていうからやばい。こういった複数の感情が、文章になるより先に、一気に脳内に満ちる。言語化するヒマはない。まずは「やっべ!」、とっさに行動する。そうしないと間に合わないかもしれないからだ。
 医者のスナップ・ダイアグノーシスも、これと似ている。雰囲気から行動が導かれ、行動しながら時間をかけて思考を追加していく。
(同著55-56頁より。)

言語化するヒマのないまま、
その場の雰囲気より行動がみちびかれて、
さらに、行動をしながら思考が追加されてゆく。
ということって、でも、こういうような
「ハチか?!ハエか?!」の場合だけでなくって、
お医者さんの「スナップ・ダイアグノーシス」のように
行動するときも、あることにはあって。

そう行動できるときと、
そう行動できないときとのちがい、というのは、
うまく言えないけれども。

「スナップ・ダイアグノーシス」が、
ぼくも、できるようであれたら。。。

‥‥と、そのときに大切なのは、
市原真さんのおっしゃる
「雰囲気」を感じることなのかもしれないな。
あ、もしかしたら、ブルース・リーが言った
「考えるな、感じろ。(Don't think. Feel!)」って、
こういうことだったやもしんない。

「ウッギャ」と叫びながら逃げつつ、
「フギャア」と叫びながらこわごわと視る。
というような、感覚を養いたいの。

令和2年2月21日


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