見出し画像

戸締まりとクランクと夕焼けと帰宅について。

おととい、映画館にて、
『すずめの戸締まり』を観てまいりました。

映画の感想としてはね、なんだか、
ことばではうまく言えないんだけれども、
これは、もう、なんとゆうか、
おもしろいかどうかとかを飛び超えて、
すばらしかったなあー。

そして、映画を観てから、
映画のあらゆるシーンを思い出しながら、
頭の中で、ぼんやり、考えているの。

映画を観てから考えていることとして、
たとえば、なんだろうかなあ、それはさ、
『すずめの戸締まり』という
そのタイトルにも記されているかのごとく、
「戸」、つまり、
「扉」であり、
「ドア」のことかなあ。

ドアとは、
部屋と廊下とを繋ぐ、とか、
家の中と外とを出入りする、とか、
どこかとどこかとを結びつける、とか、
そういうものなのだとはぞんじますが。
そういうような、
「結びつける」とは言えども、それは、
よいものだけでなくって、ときには、
あしきものと繋がれることもあるんだろう。

このことで思うのはさ、
ぼくの家の玄関と
道路へ出るための門扉とのあいだには、
数メートルの石畳的なアプローチがあって。
そのアプローチは、玄関から道路まで
「まっすぐ」ではなくって、
「クランク」の形になっている。

クランクのように、二度、
90度に曲げることによって、
外から内部を見えにくくする、
というような役目もあると思われるけれども。
そのほかにも、
外から入られづらいようにする、
ってゆうのも聞いたことがあって。
つまりはさ、この
クランクの形状とは、もしかしたら、
あしきものとの繋がりを、
避けようとするための工夫なのやもしらない。

そして、やはり、そのためには
クランクの形状だけでなくって、
玄関のドアを閉めること、つまり、
「戸締まり」が大切で、さらには、
ドアの「鍵」を閉じることが大事なのでしょう。

ここまでをね、
ブログで書きながら思ったのは、
映画『すずめの戸締まり』の中で描かれる
「戸締まり」とは、、

ここからは少々、ネタバレなのですが、、、



その扉を使われていた方たちが、
なにかしらの理由によって
「戸締まり」をすることができなくなって、
そのままとなってしまったドアを、
使われていた方たちの代わりとして、
閉める、ということなのやもしれないなあ、
と思いました。

映画を観終われば、
夕方の時刻になっていて、
映画館の外を出て駐車場から眺める
夕焼けがきれいだったなあ。
そして、それから、
スーパーでお買いものをしながら、
帰宅をしました。

令和4年11月20日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?