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ドウイウモノニ ワタシハナリタイ?

宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』は、
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
ということばから始まって、
「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
で終わるけれども。

『雨ニモマケズ』のことを、
ひさしぶりにふと思い出して、あらためて
読みながら思ったのは、賢治さんは
「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
と記しているけど。じゃあ、ぼくは、
「ドウイウモノニ ワタシハナリタイ?」
って問われているような気がしたのよね。

たとえば、子どものころには、
「何になりたい?」と言われたら、だいたい、
「将来の夢」的な職業の名称で答えるのが、
一般的なのだと思うのですが。
ぼくは、それが、かなり苦手だった。

そのときのじぶんの経験から言えば、
将来の夢が早くから決まっているひとは、
すばらしいなあと思うけど、
まだ、わからないひとは、
ぜんぜん、答えられなくても、、
って言うよりも、むしろ、
無理に答えようとするぐらいならば、
もう、答えないほうがよいんじゃん。
とも考えている。

そうして、でも、
賢治さんの『雨ニモマケズ』では、
「職業」的なことではないかのような、
「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
と記されていて。

ぼくもさ、たとえば子どものころに、
「職業の名称」ではなくって、
賢治さんの『雨ニモマケズ』のように、
「どういうひとになりたい?」
と問われていたとしたら、
気持ち的に、楽だったかもしれないし。
もっと、いろいろ、考えることも、
できたのかもしれないな。

「どういうひとになりたい?」
というのはさ、つまりは、
「どういうひとでありたい?」
の意味でもあるから。
子どものときだけじゃあなくって、
大人になっても考えられるし。また、
あのときは、ああだったけど、
今はこうかなあ????? って、
考えを、更新してもよいわけだし。

そんなふうにね、
じぶんの中で、考えられたら。
と思うの。

『雨ニモマケズ』は、
賢治さんの亡くなられたあと、
手帳に記されていたメモとして、
発見された。というのを聞いたことあるけど。
ぼく自身も、たとえば、
じぶん自身だけのことばとして、
「ドウイウモノニ ワタシハナリタイ?」
というのをね、じぶんのノートに、
ひそやかに記しておけたい。。。

令和3年2月15日


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