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「Touch」について。

前回noteでは、
「ラブ&ピース」ということばから
ジョン・レノンの『LOVE』という曲を思い出しながら、
この『LOVE』という曲のね、
「Love is touch」という箇所が、好き。
ってゆうのを申しあげました。

はたまた、そのブログの中ではさ、
「Love is touch」の「touch」とは、
「さわる」なのか、「ふれる」なのか、
みたいなことも書いたのですが。
このことについて
『精選版 日本国語大辞典』によれば、、

類義語の「ふれる(触)」との違いは、本来「さわる」が持続的に接触する動作であるのに対して、「ふれる」が瞬間的、すこしの時間接触するところにあると思われる。

‥‥と記されていて。
つまり、語源としては、
「さわる」は「持続的」、
「ふれる」は「瞬間的」、
というちがいがあるらしいっす。

なんだか、ぼくの感覚としてはさ、
「さわる」とは
「手のひら」の側で接触すること、
「ふれる」とは
「手の甲」の側で接触すること、
というのを感じているのよね。

そんなような、
「さわる」と「ふれる」について、
たとえば、
「気にさわる」や、
「気がふれる」という語句もあって。
とは言いながら、前者の
「気にさわる」の「さわる」とは、
「触る」でなくて「障る」のほうなのですが。
ここでまたもや、
『精選版 日本国語大辞典』によれば、、

動詞「さわる(障)」の、支障となる意が軽くなって派生した語と思われる。

‥‥と記されているので、
この「障る」も、
「さわる」として考えてみたいけれども。

意味に関して、
『広辞苑(第七版)』によれば、、

【気に障る】
その事が不愉快に感じられる。感情を害する。
【気が触れる】
(「気が狂れる」とも書く)精神に異常を来す。発狂する。「気が違う」とも。

‥‥とのことでして。

ならば、この、
「さわる」や「ふれる」における、
「気」とは、なんだろうか?????

たとえば、ぼくがイメージするのはさ、
人間の内部の奥底の場所に
「気」みたいなものがあって。
その場所へとずかずか入り込むようにして、
さわったり、ふれたり、するのは、いけない。
みたいなことを想像してみたの。

その「気」に、
さわったり、ふれたり、するならば、
それは、もう
「Love」とは言えないのかどうなのか。

「Love」における
「Touch」とは、
どういうことなのか。。。

馬柵越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし児ろしかなしも
(万葉集巻十四 三五三七或本歌)

令和4年3月21日


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