表紙17

其の三十九 「半日」

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(2008年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちはー。

前回noteでは、「正常も異常も考えないで、縮小して凝縮して見るということをやってみれば、だいたい、その三人(森鴎外、夏目漱石、太宰治)の精神構造と表現と現れた作品の、どういうところに特徴が出てきたか? が言えると思います。」と吉本さんおっしゃったばめんでした。

んでは、つづきを。。。

で、ひとつ。たとえば、森鴎外という人は、ご承知のように軍人であり、それからお医者であり。つまり、むずかしいことばっかり。いつもむずかしい社会ばっかりを総合するような、そういうことを、自分の職業および専門として一生を過ごした人です。(チャプター08 / 森鴎外と「半日」_0:00〜)

森鴎外は、軍人でありお医者さんであり、むつかしいことばかりを職業および専門として生きたひと。

‥‥と。ぼくは、もちろん読んだことはないんだけどねぇ(←自信持って言えることじゃない)。そーいえば、瀧本哲史さん著『ミライの授業』のなかで森鴎外のことが出ていたなー。自身のかんがえに固執してしまって、お医者さんの仕事で失敗をした例として出ておりました。

講演をつづけます。

この人の作品として、たとえば『半日』という小説作品があります。

森鴎外の作品に、『半日』という小説があり。

この作品では、あの。鴎外が、自分のある日の半日のことを自分の小説作品として書いたものです。

この小説は、ある日の半日のことが書かれている。

で、主人公は、たぶん小説の主人公は、たぶん自分に似せて。自分と、ほとんど自分と同じ人間として考えて書かれたものです。

主人公は、ほとんど、鴎外自身とおんなじ人間として考えて書かれたものである。。。

っていうこんかいはここまで〜、つづきは次回noteで聞くです。このあたりからさ、講演の内容、ぼくはあんまりと言うかほぼ聞けていなかったところなので、こころして聞いてゆくです。

平成28年9月22日



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