20190803空

完成までの長い年月。

なにかを鑑賞するとき、
ぼくは、つまり鑑賞者は、
その作品の「完成形」しか観られない。

たとえば、
音楽ならば「デモ音源」だったり、
映画ならば「メイキング映像」だったり、
漫画ならば「ネーム」だったり、
書籍ならば「第一稿の原稿」だったり、
美術やデザインや建築ならば
「ラフスケッチ」や「エスキース」だったり、というような
そういうものが公開されてなければ、
ぼくは完成形だけを鑑賞する。

でも、そういう完成形だけでは、
その完成形へ至るまでにかかった構想や想いや長い年月、
みたいなことは、なかなか、
感じ取ることはできなくって。
鑑賞するときには、しばしば、
そんな「長い年月」のことは忘れてしまったり、
置いておいちゃう。

べつに、それでもよいのかもしれないけれども。

ぼくは、だいすきな作品ならばなおのこと、
そういうような長い時間のことを
すこしだけでもイメージできるようであれたら。
と想うのよね。

たとえば前回までの複数回のnoteで申しました、
サカナクションのNEWアルバム『834.194』では、
前作『sakanaction』より6年を経てリリース、
という「年月」を感じるし。

また、たとえば、
げんざいほぼ日刊イトイ新聞で連載されております、
幡野広志さん×古賀史健さん×糸井重里さん鼎談
「そこだけを、見ている。」というコンテンツは、
写真家・幡野広志さんの著書
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』
の刊行記念で開催されたトークイベントの模様なのですが。

この鼎談を読みながら、ぼくは先日読みました、
幡野さんの著書の裏話と申しあげますか、
「構想にかかった長い期間」みたいなことを
知ることができて。それを、
おもしろい、と言ってしまって、
よいものかどうかはわからないですが。
明日まで連載されますこの鼎談のコンテンツ、
きょうみぶかく読んでおりますー。

幡野広志さんの著書
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』、
また読み返したくなったー!!!

そして、おなじくほぼ日の関連で申しあげますと、
ほぼ日刊イトイ新聞・編の書籍
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』
をせんじつ届いてすぐに読みまして。読み終えてから、
しばらくしてまた読み直しておるんですが。

『岩田さん』の本を読みながら、そして、
編集を担当なさった永田泰大さんのごあいさつも読みまして、
この本も、やはり、そういうような
完成までの「長い年月」を感じられて。。
なんだか、この気持ち、うまく言えないけれども。。。。。

ぼくは、たとえば、
作品のメイキングについてのお話しってゆうのは、
かなりすきなんかもしんないなあ。

そこには、たくさんの想いやきもちや、
アイデアがつまっている、って感じるの。

令和元年8月3日


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