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人間関係と窓と日和と。

人間の悩みとは、そのほとんどが
人間関係に関することである、
というのはよく言われるけれども。
人間関係に関する問題とは、たいていの場合
完全に解決するのはとてもとてもむつかしい、
とも思える。

人間関係に関する問題について、
その対処の方法には、ぼくとしては
三つあると考えていて。
その三つというのは、
・耐える
・変える
・離れる
なのだと思うのよね。

ひとつめの「耐える」というのは、つまり
「我慢する」であり、言い換えれば
「あきらめる」もこのうちのひとつだと考えられる。
耐えられる、かつ、あきらめられるならば
それはそれで良いんだと思うけれど、
もう耐えられない、我慢の限界だ、となってしまったら、
さらなるなんらかの対処法を考えないといけない。

その対処法としては、上で挙げましたふたつめの
「変える」だと思っている。
つまり、何を変えるのかと言えば
じぶん自身を変えるか、
それとも、相手を変えるか。
でも、じぶん自身を変える、つまり
じぶん自身が変わるとしても、
どう変わるかと考えるならば、たとえば、
どう耐えやすくなるか? 及び、
どうあきらめをつけるか?
というような方向性しか無い気もしていて。
ともすれば、もう、
相手を変える、という手段しか無いと思うけど、
それはそれで非常に困難だと考えられる。

変えられるものもあれば、
変えられないものもあるだろうし、ならば
変えられるものと変えられないものを
識別する知恵を与えてほしい。
「ニーバーの祈り」のごとく。

そして、どうしても
耐えられない、かつ、
変えられない、となってしまえば、
みっつめとして申したような、その場から
「離れる」しかない。
しかし、もしも、その場から
「離れる」ことができないのだとすれば?!

度合いは多かれ少なかれ、誰しもが
このような人間関係に悩むのだと思うのですが。
ほんとうのほんとうに人間関係で悩むときには、
耐えられないし、
変えられないし、
離れられないし、
という状況なのだと考えられるけれど。
そういう状況では、もはや
対処のしようが無いと申しますか、つまり、
耐えられないまま耐え続けることしか、
方法は残されていないとも思える。
そして、それこそが
「絶望」なのだと言える。

人間の悩みとは、そのほとんどが
人間関係に関する問題である、なのだとしても、
人間関係に関する問題とは、
あまりにも困難すぎる、というか、
どれだけ考えたとしても「出口」が無い。

先日のブログの中でも申しましたが、
以前、養老孟司さんが
「自殺した子どもの手記には、人間関係のことばかりで
 花鳥風月がひとつも描かれていない。」
とおっしゃっていたことを、折に触れて
思い出して考えるのですが。
人間関係には「出口」は無いのだとしても、
そのようなときこそ、花鳥風月が
「窓」になると思うのよね。

人間関係で深く深く悩むときこそ、
じぶん自身の「窓」をあけるようにして
花鳥風月を想いながら、耐え難きを耐え、
しのぐしか無いときもある。
そうして、しのぎながら
時間が経つことによって、何かしらの状況が
好転する場合もあるんだろう。

「待てば海路の日和あり」
ということばもあるけど、
ならば、どれだけの時間を待てば
その日和は訪れるのでしょうか?

人間関係について考えるとすれば、ぼくは
こういうふうなことしか思いつけないな。

令和6年5月14日


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