![表紙17](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3604018/rectangle_large_b73e431b7ca1863fa7a37744695b2b7f.jpg?width=800)
其の四十七 三四郎への説明
《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》
こんにちはーっす。きょうも、吉本さんのこーえんを聞いてゆくです。
前回noteでは、「そのとき、三四郎は先生に『先生はどうして独身なんですか? 好きな人はおらないのですか?』と普段なら言えないような失敬な質問をひとりだったから言うわけです。先生は『いや、好きな人はいたんだ。』と説明して、三四郎は『その人の消息がわかったら結婚するか?』と、そして『どうして消息を探さないんですか?』となおも追求するわけです。
では、つづきを。。。
すると先生は、「いや、探さないというわけじゃあないんだ。」と。つまり、(チャプター09 / 夏目漱石と『三四郎』_3:16〜)
三四郎の問いに、先生は「いや、その人のことを探さないというわけではないんだ。」と答えて。
自分はあるとき。と言うのは、当時の。あの、なんて言いますか。文部大臣で、モダンな文部大臣で、森有礼っていう人がいたわけですけど。森有礼っていう人の葬列、葬式の列のなかにその女の人がいた。いたんだ、って説明するわけです。
当時の文部大臣で森有礼というひとがいて。その「森有礼というひとの葬列に女性がいたんだ。」と先生は説明する。
それで、あの。葬列のなかだから、あっと思う間もなく自分の前を通りすぎて行ってしまうし。そこで、自分がノコノコその葬列のそばまで行って、その女の人に挨拶したり、今どこにいるんだ? って訊ねたりすることもできないうちにその葬列が立ち去ってしまう。
葬列のなかだから、あいさつやたずねたりもできないうちに、すぐに立ち去ってしまった。
そして、それで自分もどうすることもできないで。そのあと、会う機会もなくなって、探しても容易にわからないで。
そして、じぶんではどーすることもできなくって。会う機会もなくて、探してもわからなくって。
ということで。その、自分はそういうその人と一緒になる、結婚する、っていうような機会を失してしまって、現在に至ってるわけだ。って言うふうに、三四郎に説明するわけです。
っていうように、現在に至ってるんだ。と三四郎に説明をした。。。
んじゃあー、このつづきは次回noteで聞きますっ!! 風がめっちゃ冷たくてちょっと寒い。あしたからじゅーがつ。
平成28年9月30日
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