アイデアの啐啄同時。
やりたいこと、もしくは
実現させたいことを、周りの人に話すとそれが
より実現しやすくなる、とも言われるけれども、
ぼくはね、それはいわば
時と場合によりけり、だと思っているの。
いつでも、かつ、だれにでも
話せばよいわけじゃあない。
ある程度、完成の
目処がついたときに話したほうがよい。
やりたいこと、及び、実現させたいことを
ここでは仮に「アイデア」と名づけるとして、
そのアイデアを思いついた段階では、まだ
そのアイデアとは、うまれたての
「たまご」の状態で、そして
誰かに話すということは、アイデアが
たまごの中で育ち切らないままに、
割ってしまう、みたいなことだと思うの。
そうなってしまったら、そのアイデアは
しんでしまう、つまり、
実現が叶わなくなってしまう。
理想を言うとすると、
あるアイデアを思いついてから
あるころまでは、だれにも話さないで
じぶん自身の中におさめておく。
つまり、アイデアのたまごを
じぶんの身体の体温であっためるイメージかな?
それでね、たまごの中にあるアイデアが
だいぶ育ってきたころには、たとえば
「啐啄同時」の語句のごとく、
たまごの中の雛が外へ出たいと殻をつつくタイミングと
たまごの外の親鳥が殻をついばみ破るタイミングとを
同時に行うようにできれば、アイデアは
この世界の空気に触れても大丈夫になって、
そういう感じになったときに初めて
周りの人に話したほうがよい、
と、ぼくは思っているのよね。
ぼくだっても、あることを
思いついてからすぐ発表したら、
なんだか、口で言ったことで
気持ちが満足したかのようになってしまって、
結局、実現にならなかったことも多々あるし。
それだけ、そのアイデアを
話すタイミングが重要だと思われる。
そして、でも、啐啄同時で
アイデアの雛がたまごの外へ出たとしても、
だれにでも話せばよいわけでもない。
そのアイデアを、ある人は
こわそうとする場合もあるやもしらない。
アイデアの雛は、まだ、雛の段階であって
弱いと言えば弱いから。
ぼく自身も、なにか
実現させたいことがあるときには、
いつ、そして、だれに話すのか?
というのを考えられたい。
そうして、その、アイデアの
たまごと雛を無事に育てられたい。
令和6年7月24日