20190113空

「広く、浅く」 も、「深く、狭く」も。

じぶん自身の興味の度合いをあらわすときに、
「広く、浅く」
「深く、狭く」
のように言うことってあるけれども。

ぼくは、なんだか、
その「広く、浅く」でも「深く、狭く」でも、
どちらでもないような気がしているの。

これってば、どういうことかともうしますと、、

コピーライター・岡本欣也さんの著書
『「売り言葉」と「買い言葉」 心を動かすコピーの発想』
のなかでは、、

深く掘るには、広く掘らなければいけない。
(171頁より引用です。)

‥‥ということばが書かれてございまして。

このことばとは、この著書では
「アイデアの発想法」として書かれてあるですが。
はじめて読んだときに、なるほどぉ、って思いながら、
ぼくは、このことって、
もっともっとあらゆることにも言えるんではないかなあ?
って、思ったのよね。

つまり、どんなことでも
自力で「深いところ」へと到達するためには、
そこだけを掘っていてもダメで。
まぁ、ボーリング掘削機のような機械があればべつだけれど。
じぶんの手で掘ろうとするならば、
深く掘るための「広さ」がひつようになる。

そういう意味で
「深く掘るには、広く掘らなければいけない。」
であると言える気がしているの。

前回noteのさいごでねえ、ぼくは、
「いろいろ、知る、というのはさ、
いいなあ、とおもったっす。」
って書いたけれども。

たとえば、音楽を聴く、のようなことでも、
そういういろいろ「知る」ことによって
裾野が広がって、より、
まんなかの箇所を深く深く掘る(知る)ことができる。

それは、もちろん「まんなかの箇所」もだいじなのだし、
「裾野」だってもとってもだいじで。

そういうふうにおもいながら、いろいろ、
知ることができたらなあ。
って思っておるです。

平成30年1月13日


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