表紙6

第22回 あなたの心のままに

【げんざい、吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を、ちょっとずつ一声ずつ聴いてゆくシリーズやっています。第22回目〜。】

前回noteからのつづきでぇ、でわ、さっそくっ!!!

それで、そのときに吐く言葉が「わが心いたく憂(うれ)いて死ぬばかりなり」っていうふうに言うわけです。(チャプター05 / イエスも自分自身を信じきれなかった_1:40〜)

イエスが、ゲッセマネという土地で弟子たちから離れてひとりで祈る、という「マルコ伝・14章」の場面で。イエスはものすごく悲しくって死ぬほど憂鬱で、だから「わが心いたく憂いて死ぬばかりなり」ということばを吐いた。

それで、なぜそんなに死ぬばかりなの? って言ったらば、やっぱりそれは、ひとつの予感なんですよ。予感。その、死の予感なんですよ。で、そこでイエスがなにをどういうことを言うかって言ったらば、これもみなさんがよく知っている言葉だ、つまり、あの、

それで、どーしてそんなに死ぬばかりなのか? と考えれば、それは「死の予感がある」ということで。そのときに、さらにイエスはどう言ったのかと言えば、、、

父よ、っていうことは神様のことですよね、父よ。つまり、自分のいたく心が憂いている今の自分のこういう状態、その、死ぬほど心が憂鬱になっているこの状態を過ぎ去らしてくれ。って、つまり、早く過ぎ去らしてくれ。っていうことを言うわけです。

父(神様)よ、自分の心がいたく憂いているこの状態を早く過ぎ去らしてくれ。

つまり、それは「杯(さかずき)を取り去ってくれ。」っていう言いかた、比喩で言うわけですけどね。つまり、この状態を早く過ぎ去らしてくれ、っていうふうに言うわけです。過ぎ去らしてください神様よ、っていうふうに言うわけです。それで、

それは「杯を取り去ってくれ。」という比喩での言い方をもって「早くこの状態を過ぎ去らしてください、神様よ。」と言ったのだけど。

だけれども、私の思いどおりに、心のままに、過ぎ去らしてくれ。とは言わない。つまり、この憂いを取り除いてくれ。この憂いの状態ってのを取り除いてくれ。とは自分は決して言わない。

だけど、「私の思いどおりに、心のままに、過ぎ去らしてくれ。」とは決して言わない。

あなたの、つまり、神様よ、あなたの心のままにしてくださって結構だ。しかし、この憂いて死ぬばかりの状態っていうのは、早く取り去ってくれないですか。っていうふうに言うところがあるわけです。つまり、

「神様よ、あなたの心のままにしてくださって結構です。」っていうように言う箇所がある。それはね、

この、ここのところの問題ってのが、ひとつあるわけです。

ここのところに、ひとつ問題があるわけです。と吉本隆明さんおっしゃいます。その「問題」についてはねぇ、また次回noteで聴くです。聴くです。

2016年6月30日

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