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ほんとうはあったかもしれない世界。

ビートルズが、その後の音楽に
多大な影響を与えたと言われているけれども。
たとえば、もしも、
ビートルズがこの世界にいなかったら、
その後の現在の音楽は、
どのくらいか変わっていたのだろうか。

それはでも、おそらく、
変わっている部分もあるだろうし、
変わってない部分もあるかもしれない。

たとえば、2019年公開映画『イエスタデイ』では、
ある日、突然、ビートルズと
その楽曲が消えてしまったら?
という世界が描かれていて。その映画の中では、
ビートルズに強く影響を受けていると言われる
「オアシス」は存在せずに、そして、
「エド・シーラン」は存在している。
というように、この現在と、
変化しているところもあれば、
変化してないところもあるんだろうか。

この現在の世界線でも、
ビートルズが存在していなかったときがあって。
それは、ビートルズがデビューする前の時代だ。

ぼくは、ビートルズが解散したあとに生まれた世代なので、
生まれたときからすでにビートルズの曲はあって。
ビートルズが存在している世界の中で、
ビートルズの音楽を、
テレビ番組の主題歌やコマーシャルで聴きながら、
中学生のころにはレンタルショップでCD借りてきて、
ビートルズを聴くようになったけれど。
ビートルズがいなかった世界において、
ビートルズがデビューしたことによって、
ビートルズの音楽を初めて聴いた人たちが、
どう感じたか、というのは、ほんとうのところは
ぼくにはわかるよしもない。

ビートルズがいなかった世界を、
イメージすること、とは、もしかしたら、
ほんとうは存在していたやもしれない
その他の「ビートルズ」的な存在が、
この世界では存在していない。
と、イメージすることと同じなのかもしれない。

たとえば、第二次世界大戦では、
世界中であまりにもたくさんの人が亡くなって。
亡くなられた方々の中では、もしも生きておられれば、
戦争後に芸能の分野で大活躍され、ビートルズのように、
後世に多大な影響を与えた、という人も、
たくさんおられたやもしれない。
ぼくらは、その、もしかしたら、
ほんとうはその人たちによって
後世に多大な影響を与えられた、
という世界には、生きていない。

ビートルズもいるし、そして、
「ビートルズ」的存在もいるし、
というような世界、ってゆうのも、
ほんとうは、あったのかもしれないな。

その世界にて、ほんとうには、
奏でられていた音楽も、
歌われていた歌も、
詠まれていた詩も、
書かれていた文学も、
描かれていた美術も、
作られていた工藝も、
建てられていた建築も、
築かれていた知識や知恵や技術も、
この世界では、存在していない。

それらの物事が存在していた世界から見れば、
ぼくらの住むこの世界のほうが、
「もしも、○○がなかったら?」と想像される
SF的な世界なのかもしれない。

令和3年11月26日


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