その日の風に吹かれながら。
明日は明日の風が吹く、と言われても
明日の風と今日の風と昨日の風のちがいって、
ぼくにはよくわからないな。
でも、たとえば、
この今の「夏」の風と、
半年後の「冬」の風を比べたら、
そのちがいはぼくでもわかるだろう。
半年前の日に吹いた真冬の風を、
そのまま袋に詰め込んでおいて、
今日、その袋を開いて
その風に吹かれたい。その同様に、
今日吹く風と日差しをね、
そのまま袋に詰め込んで、
半年後になってからその袋を開けたら、
さぞかし心地よいんだろうなあ〜。
明日の風のことは、あんまり
わからなかったとしても、
明日の出来事のことは、
明日にならなきゃわからない、
みたいなことならば、ぼくにもわかるよ。
たとえば、明日、
いろいろな用事があって、
いろいろな場所へと行かなくてはならない。
その用事の場所には、
どういう順番で行き、
どういう順路で行き、
どういう手続きを行ないながら、はたまた、
その日、お昼ごはんはどうするか? とか、
そもそも、何時に出発するか? とかもね、
今日の夜までに前もって考えておくとしても、
すべてがすべて、完全に、且つ、完璧に
考えた通りの予定で進められるわけでもない。
現地へ向かう途中では、ふと、
この順番で行ったほうがよさげかも、とか、
この道を通ったほうがちかそうかも、とか、
渋滞してるからこっちの道で行こう、とか、
道中でコンビニへと寄りたくなった、とか、
お昼ごはんもね、昨日はこう考えていたけれど
今日になったらやっぱりこれ食べたい! とか、
あのお店、行ってみよう! とか、もしくはさ、
朝、すこしだけ寝坊しちゃって
出発の時間が遅くなってしまったり、その逆に、
朝、けっこう余裕があって、当初の予定よりも
早めに出発できそうだったり、のごとし、
実際問題、その日、その瞬間にならないと
わからないことがある。
そんなときにはさ、
その日の風に吹かれながら、
その日の風を受けながら、
その日の波にも乗りながら、
その日を乗りこなしてゆく、
ってゆう感覚を想ったりもする。
その日の風と波に乗りながら、
きちんと用事をこなすことができて、
そして、どうか、無事に
帰宅できることを願いながら。
令和5年7月24日