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「疲れる」の用法について。

きのうのブログでは、「ストレス」ということばを
「つかれ」と言い換えるとしたら、ぼく自身の
「つかれ」を取るための方法をしるしたのですが。
そういうような「つかれ」について、つまり、
「疲れる」について考えるときにね、
けっこうややこしくなってくるのは、
【疲れる】ということばが
受動態のようになっていることだと思うのね。

つまりはさ、
【疲れる】という語句とは、
「疲る(つかる)」とは言わずに
「疲れる」なんだから、ぱっと見では
「○○される」というような
受け身みたいな形になっている。
でも、これってば、
ほんとうの意味においては
受動態では無いとも思うんだけれども、
じっさいのところは、
受動態なのか、能動態なのか、どっちなのぉ?

ぼくの感覚で申しますと、たとえば、
自らによってなにかをすれば
自ずと疲れてくるんだから、
【疲れる】ということばを
能動態のようにして使っているけど、
でも、それを、だれかによって
「させられた」と思うならば、つまり、
だれかのせいなのだと思ってしまえば、
受動態のようにもなってきてしまう。

逆を言えば、仮にね、他人から
「疲れる」と言われた場合には、
ぼくのせいで、その相手を
疲れさせてしまった、とも思ってしまうんだ。

なので、【疲れる】とは、
用法が、結構、微妙!
だと、思う!!!

そう言えば、英語では「疲れる」は
「be tired」と習ったけれども。
厳密に言えば、「tired」の品詞は形容詞で
動詞の過去分詞形では無いから
「be +過去分詞」の受け身の形では無いですが、
「tired」には「ed」がついているので
過去分詞っぽくって、なんだか
受け身のようにも見えるんだなあー。

このあたりってば、たとえば、
じっさいにおける、ネイティブの方々の
ニュアンスとしてはどうなのでしょうか?

ぼくはさ、この
【疲れる】ということばをね、
自ずと疲れる、というような
能動態として使うイメージを持ちながら、
そのすべてを、
自らによって行った、と思えたい。
そして、
自らによって疲れたら、
お布団の中で、ぬくぬく、
ゆっくり寝たいんよ〜!!!

令和5年4月12日


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