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思考の迷路の闇の中。

すぐに頭の中で考え込んでしまうぼくは、
「考える」という行為が、
ちゃんとできているかどうか、ってえのは、
じぶん自身の死活問題であるとも言える。

「考える」が、
ちゃんとできていない、ってゆうことは、
思考の迷路の闇の中で、
迷い込むことを、意味する。
そのようにならないためにも、
すぐに頭の中で考え込んでしまうようなぼくは、
「考える」とは、何か?
を考えることによって、じぶん自身が
「考える」という方法を間違えていないかどうかを、
チェックするかのような、つまり、
「考える」とは、何か?
を考えることは、ぼくが考えるときの
「おまもり」であると考えられる。

「考える」とは、たとえば、
じぶんの目の前に「問題」があるときに、
その問題に対して、
「正解を出す」ことだけじゃあない。
そういう要素もあるとも思うけれど、
それだけでもない。むしろ、生活というのは、
学校のテストでは無いんだから、
その「問題」には、
「完全に正しい唯一の正解」は無いやもしれない。

ともすれば、
考えることができる事柄は、
無限に広がっている。

でも、そのときにはさ、
この無限に考えられる事柄の中から、
「なるべく正しい答え」
に近づけようとする、というのも、
むつかしい。いや、
「むつかしい」って言うよりも、
「できない」のかもしんないな。

なぜならば、
「正しい」のか「正しくない」のか、
という判断は、たとえば、
ある人が「正しい」と考えることが、
別の人は「正しくない」と考えることもあったり、
はたまた、場所や時代でも
「正しさ」の考え方が変化するかのような、
人間の価値観によるから。

と、もしもそう考えるとすれば、
じぶんが考えた「正解」が、
ほんとうに「正しい」かどうか?
なんてえのは、ぼくには全く言い切れない!

でも、そんなこと言ったら、
何も考えられなくなってしまうし、
しまいには、
何の行動さえもできなくなってしまう。

じゃあ、どうしたらよいか???

って考えてみると、ぼくとしてはさ、
じぶんがあ考えた「考え」が、
じぶんに「嘘」をついてないかどうか、を、
じぶんで検証する。つまりはさ、
「考え」を考えること、プラス、その「考え」とは、
「本当のほんとうに嘘をついてないかどうか?」
を考えるところまでが、
「考える」だと考えているのよね。

そうすることによって、かろうじて、
思考の迷路の闇の中で迷い込むことは、
免れるやもしらない。

ってゆうところまでを考えながら、
さて、今回のブログの中では、
【考】という漢字は、
何回使われているでしょうか〜?????

令和4年2月24日


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