見出し画像

「恥」は捨てないで。

作品を発表すること、もしくは、
なにかを発信したり発言したりすることは
「恥ずかしい」ことなのかどうか?

ぼくの場合で言えば、
「恥ずかしい」と思う場面もあれば、
そうでない場面もあると思うけれども。
このことを考えるようになったきっかけとしてはね、
以前、あるお知り合いが、かねてから
漫画家に成りたい! と言われていて、なので、
じぶんの描いた絵を見てほしい、と、
彼の描く作品を拝見する機会があったのですが。
そこで彼は、しきりに、他人に作品を見せるのは
「恥を捨てるため」とおっしゃっていた。

ぼくは絵を描かないので、
絵を描く及び見せるということはどういうことなのか、
ってゆうのはよくわからないけれども。
この彼にとったら、描いた絵を他人に見せるのは
「恥ずかしい」ことであり、そして、この
「恥ずかしさ」に耐えながら、かつ、
「恥ずかしさ」を捨てようとすることによって、
ようやく他人へと見せられる、
という感覚なのではないか、と、想像するけど。

ぼくは絵のことはわからないけれど、
このブログのことで言うともすれば、
ときにはね、ある文章や描写について
こんなこと書かないほうがよかったか?!
って思うときもあれども、でも、
それはやっぱり、ぼく自身が、
ブログで説明しようと思ったことを記すためには
必要なんだとじぶんで考えたからそう記したわけで、
そのブログを発表(投稿)するタイミングでは
「恥ずかしさ」の気持ちは無い。
つまり、のちのちになってから
なにがしかを想うことはあったとしても、
すでに後の祭り、だから、あきらめる。

なので、彼の言われていたような
「恥を捨てる」という感覚は、
よくわからないんだなあ。

ある意味ではね、「恥」は
捨てないほうがよいと思っている。
「恥を捨てる」とは、究極を言えば、
恥じらうことなく全身素っ裸で街を駆ける、
という状況と似ているような気がするから。
ともすれば、「恥ずかしさ」の感情を捨ててしまえば
迷惑や犯罪へと至ってしまう場合もありうる。

なので、
「恥」は捨てないで、そして仮に
「恥ずかしさ」を感じたとしたら、
誰にも見せずに秘密にすればよい。

もしも、その後になってから、
ここのところはこう工夫したので
是非そのアイディアを見てほしい。
じぶんのなかでは、これは、
めっちゃおもしろい! と思っている。
ってゆうふうになったときに、初めて
誰かに見せたらよいんじゃあないかな。

このことはね、でも、
ぼく自身に対しても言えることで。
つまり、発表とか、発信とか、発言とか、とは
そういう流れで行う、ということを
じぶんへと言い聞かせたい。

彼は、今でもなお、
漫画を描いておられるかなあ。
いや、描いていることだろう。
ぼくも彼のようにがんばれたい!

令和5年9月22日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?