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歌いたいときに。

うまいへたは置いておいて、ぼくは、
歌を歌うのがすきなんだなあー。

部屋の中でも、車の中でも、お風呂の中でも、
けっこう、歌ってしまうわ〜。

でも、それは、
どこでも、ではないし、もしくは、
いつでも、というわけでもない。

たとえば、
体調がよくないとき、とか、
つかれているとき、とか、
今日は歌う気分でもないようなときでは、
歌わない。そういうときってえのは、
歌っても、たのしくないから、
歌わない。

そういうようなときにはさ、
歌を歌おうとして声を出したとしても、
そのじぶんの口からは「声」しか、つまり、
「音」しか出なくって、それは
「歌」には成っていない、
というふうにも感じられるの。

べつに、だれかに
聴かせるでもないし、つまり、
ぼくの歌を聴きたがる人も居ないのだし、
ぼくは、ぼくなりに、ぼくのために、
歌いたいときに、歌いたい。

そう考えるとすれば、たとえば、
歌を歌われるお仕事である歌手の方々とは、
おそらく、お仕事として、
歌いたい、とか、歌いたくない、とか、
というのは関係なくして、
歌を歌われるのだろうなあ、
というのを想像をするですが。つまり、
気持ちや体調がダイレクトに繋がっているかのような
「歌」を、いつでも、どんなときでも、歌う、って、
すごいことだなあ、と思われる。

というここまでを考えながら、
ふと思ったのはね、たとえば、
ぼくは、このnoteで、
日々、ブログを書いているけれども。
ブログを書くということだっても、
つまり、ことばをしるすことも、
気持ちや体調とダイレクトで繋がっている、
というふうにも思いながら、
ぼくの場合は、そんな、じぶん自身の
気持ちや体調からあまりにも影響を受けながら、
「今日はよいふうに書けた!」ってえのは、
ほとんどなくって、だいたい、たいてい、
「今日もきちんとは書けなかったなあ」と思いながら、
その日のブログを公開している、
というふしも、あるのですが。

そうじゃあないような、つまり、
毎回、クオリティを保たせながら、
ブログやことばや文章や表現を描かれている方々は、
ほんとうにすばらしいなあ、とぞんじます。

できうるならば、ぼくは、
ぼくなりに、ぼくのために、
ぼくの気持ちや体調とも相談しながら、
どうか、日々、健康で過ごせますように、
と、ねがいながら、
日々、ブログを書けたいし、
日々、歌も歌えたいんだなあ。

令和5年2月27日


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