表紙14

其の九 すごいことを言う人だな。

《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちはっ!!

前回noteでは、たとえば「りんご1個の価値」とは、「じぶんが立つ場所から木まで歩いて行って、その木に登り、実をもいで、元の場所まで戻ってきたときのそれまでにかかる労力」だという説明を聞きました。

この、つづきです。。。

この説明は、さてみなさんは、どういうふうに聞かれるかわかりません。専門家のかたは、専門家のかたなりに、お考えになるかもしれないし。また、そんな、えー、そんな、そんな、やさしいことは問題にならない、とおっしゃるかもしれないし。(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_5:20〜)

専門家のかたは、専門家のかたなりに…。

専門家でないかたがおられたら、あの。これは見事な、えー、見事な説明のしかただ。って考えるんじゃないかな。って言うふうに、僕は思います。

専門家でないかたがおられたら…。

と。ぼくはさ、なんて言えばよいかよくわからないんだけども。んでも、そーいうことはまったく考えたことないので、なるほどぉ。ってゆう感じではおもいました。

なんというか、フィジカルな感じ???

僕は、そういう…、すごいことを。すごいことを言う人だな。って言うふうに思いました。で、それは、なぜすごいか? って言うと、

このことを読んだ吉本さんは「すごいことを言う人だな。」と思われた。それは、

つまり同時に、その考えかたは、えーと。あらゆる人間が使う費やす、精神的あるいは肉体的な労力って言うものが、どういう、どういうふうにして、価値、あるいは価値を含めた意味に、こう還元できるか。あるいは、意味に対応できるか。って言うことを見事に、

この考えかたは、同時に「精神的な労力」や「肉体的な労力」が、どういうふうにして「価値」や「意味」に還元できるか、対応できるか。と言うことをみごとに、

それだけの、あの、簡単なたとえでもって、言っているからだと。僕はそう理解しました。

これだけの簡単なたとえで説明している。。。

あぁー、たとえー。この「りんご」とはさ、つまり「たとえ」なのだとすれば、これはあらゆる物事に言える、ってことかも?!

んじゃぁー、このつづきは次回noteっす。ポケモンGO、スタートしてから一ヶ月たって、近所だけどこれまであんまり行ったことなかった公園とか行ってみたりしとる。

平成28年8月23日