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タイムマシンを思いながら。

フィクションの物語として、
「タイムマシン」って、好きだなあー。

たとえば、
『ドラえもん』だったり、
『ドラゴンボール』の人造人間編だったり、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったり。
あとはさ、ぼくの中で
めちゃくちゃ印象的だったのは、
2002年公開の『タイムマシン』の終盤のシーンにて、
タイムマシンの外側に居る悪役が、
タイムマシンの内部に居る主人公の身体を腕でつかみ、
そのまま、主人公はタイムマシンを未来へと駆動させたら、
タイムマシンの内側と外側とでは、
時間の進み方がちがってきて、つまりはさ、
タイムマシンの内部から見れば、
タイムマシンの外側に居る悪役は、
一瞬のうちに、老いて、死んで、朽ちてゆく。
逆に、タイムマシンの外側から見れば、
その時間は永遠のごとく、
ずっと、一生、その身体をつかんでいた。
というような、その時間のギャップがさ、
映画を観た当時、とっても印象的に感じられて、
なんだか、今でも、
このシーンを思い出したりするのよね。

タイムマシンって、
「タイム(時間)」が存在するからこそ、
考えられることなのだと存じますが。
よくよく考えれば、
時間って、不思議だなあ〜。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで
登場するタイムマシン「デロリアン」では、
行きたい時間の数値を、
デジタル表示のパネルに入力して、
タイムトラベルをするけれども。

つまり、時間の単位として、
「何年」というのがあって、
「何月何日」というのがあって、
「何時何分何秒」というのがあって、
その時間軸の線の上に、
ピン留めするかのようにして、
時間を把握する。

そういうような、
時間のシステムを、
最初に考えた人って、すごい。

時間もすごいし、
あとはさ、やっぱり、
数字がすごい。

数字という10個の記号によって、
どんな時間のことも考えることができる。

もしかすると、
数字が無かったら、
時間も生まれなかったやもしれないな。

でも、たとえば、
時間というものも、おそらく、
地球が、太陽の周りを
周期的に動いてるからこそ、
考えられたもので。
これまでもずっと、これからもずっと、
その周期が繰り返されるだろうから、
成り立つものなのやもしれない。

もしも、
太陽が無かったら、そして、
地球の公転や自転が無かったら、
朝も、昼も、夜も、季節も、過去も、未来も、
時間も何もなく、
永遠に暗闇の世界だった。

その逆を言えば、
「時間」があるからこそ、
「今」という瞬間のことを
考えられるようになった、とも言えるのかなあ。

タイムマシンのことを思いながら、なんだか、
そういうようなことを考えてみたっす。

令和4年9月24日


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