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バランス。

ふと思えば、
父が亡くなってから、
一か月が経っていて。

そう言えばこの一か月のあいだ、
父の供養のこと、および、
父の手続きのことで、
だいたい、なにかしら、
動いていたり、出かけていたり。
休むときには、休むけど、
その休むときでも、
すこし考えごとをしていたり。

そういうふうにしながら、
言うならば、いつのまにか、
一か月が経っていた気がする。

さくじつは、ちょっとしたことで、
一緒に住んでいる母と、
言い合いになってしまった。
その後、じぶんが言い過ぎた、と、
反省をしたのですが。
なんだか、たぶん、
ぼくもけっこう疲れているし。
同様に、いや、ぼく以上に、
母も疲れているんだろう。

このごろ寒くなってきたし、
体にはじゅうぶん気をつけながら、
過ごせたい。

でも、このごろ思うのはさ、
父の手続きのことで、
外に出かけたり、人に会ったりする、
ということは、たとえば、
「手続き」とは、
生きているこの世界における
中枢のような場所の事象であるし。
「供養」とは、
死の世界とこちら側の世界との
はざまの場所に立つことでもあって。

「生の世界の中枢」と、
「死の世界とのはざま」を、
行き来するようにしながら、
それによって、なにかしらのバランスが
取れるようになっているやもしれないなあ。
と、ふと思いました。

そのバランスは取ってゆきながら、
日々の生活のほうも、
ちゃんとできたら。。。

令和2年12月6日


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