海の中を漂うように。(憎しみと後悔ver.)
日々、このブログを書く中では
たとえば、うまく書けないこととか、
ちゃんと書くにはむつかしそうなこととか、
よくわからないから書けそうにないこととか、
これを書かなければ前へと進めそうにないけれど
書くのにはあまりにも億劫なこととか、
そういうようなこともいくつかあって。
だから、そのことを書かない、もしくはさ、
書いてみたはよいけど、やっぱり
きちんと書けなかった、ってゆうことも
いろいろあったと思うんだけどね。
書かなかったこと、書けそうにないこと、
書いてみたけどきちんと書けなかったこと、
ってゆうたぐいのことのほうが、じつは
じぶんにとって大事なことやもしらない。
そう思いながら、
そこから逃げずに、とは言いつつも、
それだけに囚われないように、とも考えながら
頭の中でめぐらせていることもある。
でも、そういうのって、
どちらかと言うと、ぼくとしては
「うれしかったこと」よりかはね、
「いやなこと(いやだったこと)」や、
「憎しみ」に関することだなあ。
「憎しみ」って、ふつうは、いや、
そのふつうというのがなんなのかってのは、
しらないけれど、ほかの方々が
どのようになさっているかは、
ぼくにはわからないのですが、
ぼくはいつも、いつまでも忘れられずに
頭の中でふつふつと思ってたりする。
憎しみのことだけでなくって、
じぶんがしてしまった「後悔」のことも、
いつも、いつまでも、思ってしまう。
なんだかそう考えてみれば、じぶん自身とは
「憎しみ」と「後悔」によって作られている、
と言っても過言でない気がする。。
そういうような、つまり、
「憎しみ」と「後悔」を考えようにするにあたっては、
でも、そのことをじぶんだけのせいにせず、
かつ、そのことを人のせいにもせず、
だれのせいでもないままに、
考えることができたのならば。。。
と思いながら、その
「憎しみ」と「後悔」の海の中を漂うようにして、
頭の中で考えている。。。。
この海の中では、そこで
うかんでいる泡やくらげたちは、
ぼくになにを告げようとしているか?
そして、この海を
たのしげにおよぐいるかたちは、
どこにいるか?!
令和5年9月18日