其の三十八 凝縮
《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(2008年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》
こんんちちっはっ!!!
前回noteでは、「たとえば、森鴎外、夏目漱石という人がおります。もうひとり、僕は太宰治という人を挙げます。この三人を例にしますと、だいたい、精神構造と、表現と、表現された現物と言うか作品と言うか、そのみっつを極めて太い直線でつなげることができると思います。」と吉本さんおっしゃったばめんでした。
つ、つ、つ、つづきだお。
この、ここから一つ外すと。つまりたとえば、その人の作品を挙げないで、えー。ただ、あの人は優れた文学者だ、とかって言ってる分では、あんまりその問題は現れてこないんですけど。(チャプター07 / 精神と表現の型_5:52〜)
「精神構造」と「表現」と「作品」のうちからひとつを外す、つまり、そのひとの「作品」をあげずにただ「あのひとはすぐれたひとだ。」って言うだけでは、問題はあらわれてこないけれども。
その人、その文学者と。文学者の精神構造と。それから、その現れた作品と。その3つを直線でつなげて、っていうことは、
このみっつを直線でつなげる、ということは、
正常も異常も考えないで、それを縮小して、あるいは凝縮して、見る。っていうことをやってみれば、
正常も異常もかんがえずに、縮小して、凝縮して、見る。ということをやってみれば、
だいたい、その三者の精神構造と、人間の精神構造と、それからその表現したものと、それからその現れた作品の、どういうところに特徴が出てきたか。ということが言えると思います。
だいたい、それらの、どーいうところに特徴がでてきたか?! ということが言える。
これは、精神学者が大雑把に。えー、あの。たとえば、躁鬱病とかてんかん症とか、あるいは分裂病。今では分裂病という言葉は使わないように決められておりますけど。その三つに分けるのと同じように、このたとえば、
これは、精神学者がおおざっぱに「躁鬱病」や「てんかん症」や「統合失調症」というそのみっつに分けるのとおなじように、たとえば、
僕はその三人に、作者と精神構造とそれからその現れた結果も含めて、それを太い線でつなげて、できるだけ凝縮する、と。した形を取って、考えてもらうとすぐにわかると思いますから。それを申し上げてみたいと思います。
それらを太い線でつなげて、できるだけ凝縮する形で考える。。。
それは、僕は、やっぱり。あの、とても考えさせられた問題です。
えーっと、「太い線でつなげる」っていうのと「凝縮する」っていうのは、どーいうことなのだろう。このつづきは、次回noteで聞くです〜。こんかいで「チャプター07」が終わりましたので、またつぎからあたらしいチャプターへうつってゆきやす。
なんだか、一気に、本格的に涼しくなった!!
平成28年9月21日
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